女王の城がそびえるこの地に、ぽつりとある
古ぼけた高い壁に私は座っていた







「こうして見ると、この世界も悪くないですね」





雲の切れ目から覗く空の青と、海の赤が
鮮やかな対比をなし 幻想的な美しさがある







昔は こうやって座ることすら困難だった


けれど、今は難なく座れる
…下を見るのが少々怖いが







座った理由は二つ


単純に ここからの景色を眺めるため





そして、懐かしのこの場所へ腰掛け
ノスタルジィに浸るため







雲が多いのが若干気になるけれど


この空の青さ…アリスは今、幸せなのだ







込み上げる喜びに従い 私は
空へ視線を預けたまま歌を口ずさむ





「ウデ♪ウデ♪ウデ…」





ここから始まった 思い出のウタを









!」





呼ばれて、危うく壁からずり落ちかけ
姿勢を直しつ声の方へ視線を向けると


そこには驚いた顔のアリスがいらっしゃ…





「あああアリス!?







今度こそ 私は壁から無様に落ちた











「あなたに捧ぐウタ」











きゃああぁぁぁぁ!?
だっ…大丈夫 !!


「あ、はい ご心配なく」







とっさに受身を取ったお陰で何とか
ヒビも入らずにすんだ







「あなたがこちらにお越しになるとは…
声をかけて頂ければすぐにお迎えに
あがりましたのに」





答えたのはアリスではなく





大丈夫だよ、僕が案内するからね」





彼女の腕に抱かれた 首だけの猫







そうだった…アリスのお側には
常に導く者がついていたのだった







「それより さっき口ずさんでたの
シロウサギが歌ってた…」







その問いかけに、先程の表情と
多めに浮かぶ雲の意味を理解した







「実は何を隠そう、シロウサギに歌うことを
教えたのは私なのですよ」


「そうなんだ…もしかして、チェシャ猫との過去と
何か関係があるの?」







なるほど、どうやら私との因縁
猫が話さないから聞きに来られたようだ







「ええ、そしてアナタと私の出会いとも」







頷き 私は辺りを探し
ちょうどいい大きさの岩を見つけると





そこにハンケチをしき、アリスに
お座りいただけるよう勧めた







「少し長い話になりますが…
語らせていただいてよろしいですか?」



「ぜひ聞かせてちょうだい 





岩に腰掛けたアリスに一礼し、私は
この場所で起こったことを語り始めた













元の私は、卵に手足が生えていて


とても奇妙で醜かった





城の人々の首が まだ胴体から離れていない頃
皆は私を見てはののしっていた







"ごらんよ、ハンプティの醜いあの姿"


"あんな姿で歌が好きなんだぜ アイツ"


"どうしてあんな奇妙な男
アリスの記憶の番人なのかしら"







その言葉が辛くて、悲しくて





気が付けば 高い壁の上に座っていた







「ハンプティ、ダンプティ、壁のうーえー
ハン、プティ、ダン、プティ、落っこちたー」





みんな 私のこの姿を嫌ってる


いっそ、この歌みたいにここから落ちてしまおう





「王様のうーまーや、けーらいもー
ハンプ、ティを元、には戻せ な」


「ダメ!!」







落ちようとした私を押し留めたのは





赤いエプロンドレスを見に付けた小さな少女







すぐに彼女がアリスだと気が付いた


記憶でのみ、幾度となくお会いしていたから







「おっこちてしのうなんてかんがえちゃダメ!
われたらモトにもどれなくなっちゃうよ!!」


「いいのです…私は
ごらんの通り醜い姿なのですから…」





自分の胸に手を当て、自嘲気味に続ける





「皆から お前は割れればいい
私の歌を変えてはやし立てるのです」


そんなことない
わたし タマゴだいすきだもん!!」





アリスは力一杯首を振って、





「それにタマゴさんがわれちゃったら
おはなしできなくなっちゃうもん!!」


「私と、お話を…?」


「うん、いっしょにおはなししよう!
タマゴさんは なにができるの?」


「私は…歌を歌うことが出来ます」


「おウタうたえるの!?うたって!」







目をキラキラさせる小さなアリスに
喜んでいただくために





私は、知っている限りの歌を歌った







すごーい いっぱいおウタおぼえてるのね!」


「楽しんでいただけて、私もうれしいです」


「あ…そろそろ帰らなきゃ
また、あなたにあいにきてもいい?」







私は記憶の番人





アリスと直に関わることは
なるべく、さけなければならないのに







「…はい いつでも」







断ることなど 出来なかった







「ねぇ、あなたのおナマエは?」


「私は ハンプティ=ダンプティと言います」


「ハンプ…ながくておぼえられないわ」







お困りになられるアリスに、私は
笑いながらこう言った





「何とお呼びいただいても構いませんよ
滅多に名前を呼ぶ方はいませんし」







うーんと腕を組んで悩み、







「わたしがあなたにナマエ つけてあげる
あなたとわたしだけのナマエ





幼いアリスは ニッコリと花のような
可愛らしい微笑みを浮かべ、言った





「これからあなたをってよぶね」













「…そっか、私達が会ったのって
そんな感じだったんだ」





しみじみと、アリスが懐かしげにおっしゃった





「はい、私の人生の中では
忘れることの出来ない記憶の一つです」











壁に座ったまま、私は今の出来事を
思い返し 幸せに浸っていた







アリスに初めて話しかけられた


アリスに 好きだと言ってもらえた





私だけの名前をつけてもらえた上に
あんなに素敵な微笑みをもらえたなんて!


まるで夢みたいだ!!







明日もこの場所で会えたら…と
壁から降りなかったのが、間違いでした」







いきなり横から衝撃を受けて

私はバランスを崩し 壁から落ちる







壁の縁で、チェシャ猫が笑っていて





ガシャンという嫌な音と共に
私の身体に 大きなヒビが入って…











「チェシャ猫、どうしてそんなことしたの!?」







アリスが腕の中のチェシャ猫に問う





猫はニンマリ顔のまま、すましたように返す







「仕方ないよアリス、本能には逆らえないんだ」


「は?」


「丸くて動くものを見ると
じゃれたくなるのさ、猫だからね」














割れてしまう、壊れてしまう







いやだ





いやだいやだいやだ!


せっかくアリスに会えたのに、
こんな下らない事で消えるなんて嫌だ!!








「誰か…!」







思わず叫んだその声に答えてくれたのは







「大丈夫かい 


シロウサギ…どうして、あなたがここに?」


「ビルに場所を聞いて、君に会いに来たんだよ
手伝って欲しいことがあったから」







言いながら、彼は私の側にしゃがみ込むと





ためらう事無く壊れかけた私に触れる







君の歪みを吸えば、その傷は直せるから
あんまり動いちゃダメだよ」


「ダメです 私などの歪みを吸って
あなたにもしも何かがあったら…!


大丈夫だよ、じっとしていて」





ニッコリと微笑んで、シロウサギは
私の歪みを吸い上げてくれた











「彼が歪みを引き受けてくれたお陰で
私は瀕死の状態から救われたのです」


「シロウサギが…を助けてくれたのね」





どこか納得したように呟くアリスに
私も彼を思い出し 深く頷いた







「ええ、彼には今でも感謝しています」











赤い瞳を寂しげに伏せて、シロウサギは言った







「最近 オカアサンが叩くから
いなくなりたいってアリスが泣くんだ」


「我らのアリスを叩くなんて…
アリスは何も悪くないのに!!







私の胸に、オカアサンへの憎しみ
アリスへの憐憫が溢れ出す







「そう アリスは何も悪くないんだ
けどアリスは泣き続けてる、だから…


泣いているアリスに 腕が、足が、首が、
命があるから出来る素敵な事を詠いたいんだ






シロウサギの声は慈愛に溢れていて


私は、一も二も無く承諾した





「私に出来る事で アリスが喜んでくれるなら
あなたの歌作りを是非手伝わせていただきたい






彼は 照れくさそうに笑うと、
静かに歌詞となる詩をそらんじはじめた









その細い腕がなければ、


手を握る事も 触れてもらう事も出来ない





小さな足がなければ、


共に歩きながら 話を交わす事も出来ない





愛らしい顔のある首がなければ


微笑みも見つめてもらう事も出来ない…










私はそれにメロディをつけて彼に
歌うことを教えた







教えたのはその歌だけではなかった





アリスが好きだと言ってくれた歌を
知っている限り、彼と共に歌い続けた







側にいられる彼がその歌でアリスを
喜ばせてくれるのならば





それは私にとっても、最大の喜びだから











ある日、シロウサギが私の元に訪れて言った





 キミにずいぶん色々な歌を
教えてもらえてうれしいよ」


「私もアリスとあなたのお役に立てて
何よりです、シロウサギ」





お互いに笑いかけ、ふと彼がたずねる





「でも、どうしてアリスと会わないんだい?
すごく会いたそうにしていたよ?」





私は 困ったようにはにかんでしまう





「それは嬉しいのですが…この姿では…」


「それを気にしてたんだね 姿を変えて
従兄弟として会いに行けば平気だと思うよ」





優しく諭され、私は当初戸惑ったけれど





「しかし私は姿を変える術は…」


大丈夫、僕が教えてあげよう」







力強いシロウサギの言葉に、
迷いは 断ち切られた









そして姿を変える術を覚え、時々
従兄弟としてアリスに会いに行っていた







あの日 アリスが我らを締め出して





シロウサギが姿を変え、アリスの歪みを
吸い続けるまでは…













「そうだったんだ…私、どうして
ずっと忘れてたんだろう」


「仕方が無いさ、全てはアリスが望んだこと」







チェシャ猫が宥めるけれど、
空は いつの間にか灰色に曇っていて







そんな悲しい顔を、していて欲しくなかったから





「知っていましたか?シロウサギの詩の
最後は、こう締めくくられているんですよ」






私は 彼の残した最後のウタを口ずさんだ







イノチ、イノチ


イノチはどこだろ


イノチがなくっちゃ





僕と君は出会えない








「僕と君は 出会えない…」





顔を上げて、繰り返すアリスに


私は自らの胸に手を当て 彼がやったように
優しく、笑いかけた







「命があるから…私達は出会うことが
出来るのです、アリス」



……」







空の雲が見る間に晴れていき







「…そう、だよね







澄み渡る空から降り注ぐ光に照らされた
アリスの笑顔は





あの時と変わらず、素敵だった








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あとがき(というか楽屋裏)


狐狗狸:遅かりながら、そして色々と捏造を
盛り込みながらもの過去話完成〜


アリス:ハンプティ・ダンプティが歌好きって
本当にいいのかなぁ…?


狐狗狸:英語の教科書でしか知らないんですが
歌が有名だし いいんじゃないでしょうか


チェシャ猫:歌通り、壁から落ちたしね


狐狗狸:君が本能で落としたんでしょが(苦笑)
所で、アリスはどーやって不思議の国まで?


アリス:チェシャ猫に公園まで案内してもらって
そこからグリフォンに…帰りも往復して
乗せてってもらったから快適だったわ


狐狗狸:それはうらやましいな〜


アリス:でも、どうしてシロウサギは
の名前を知ってたのかしら?


チェシャ猫:ビルが知ってたからね


アリス:え…?(首傾げ)


狐狗狸:…付け足すと、彼が教えたって
事でいいんじゃないでしょうか(笑)




シロウサギの詩のラストはこうであって
欲しい…という願望から生まれた話です


誰か一人でも分かってもらえたら幸せです


様 読んでいただいて
ありがとうございました!