「少し日焼けされたようですね、アリス」





何の気なしに言うと、アリスは少し
はにかんだように笑った





「え…うん プールの単位を取りに
学校に行ってるから」


「ご苦労様です 泳ぎは得意なのですか?」


「どっちかって言うと苦手かな
息継ぎがちょっと難しくってね」





アリスの側で転がっているチェシャ猫の首が
ごろりとこちらへ顔を向ける





「こっちの水の中じゃ息が出来ないなんて
変わってるよね


「現実ではそれが当たり前なんですよ」


「そうなのよね…時々ちょっとだけ
そっちの常識がうらやましくなるけど」


「大丈夫だよアリス、人間の身体の大半は
水で出来ているからね」


「チェシャ猫 それ泳ぎに関係ない…」







チリン、と軽やかな音を立てたのは


お隣からの風鈴と チェシャ猫の首に
ついた赤い紐先の鈴





どちらも今いる和室にはよく合っている





窓の外から漏れる日光は、近くにある
家具の影をやけにくっきりと切り取っていた











「異質なる隣人」











「夏に入って陽射しが益々強いようですが
お身体の方は大丈夫ですか?」


「今の所は平気かな、風邪とかもないし」


「それはなによりです」







季節の変わり目などは何かと体調を
崩しやすいと聞いているし


紫外線も年々強くなっているらしいので





私どもとしてもやはりアリスの御身が
心配になっているのだ







「どうかしたの?





思考に入りかけていた意識が戻ると


こちらをじっと見つめていたアリスの視線に
若干たじろいでしまった





「あ、いえ何でもありません!」


「心配しなくてもアリスは僕が守るから
大丈夫だよ、


「…どこから出るのですかその自信は」





小憎らしいにんまり顔を
私は呆れ混じりに軽く睨みつける







「ゴメンね、こっちに呼んだだけでなく
心配までかけちゃって」


いえいえそんな!アリスが謝る事は
何一つとしてありませんよ!!」







今日は、用事と買い物から叔父様と
おばあ様が戻られるまでの合間


話し相手としてこの場へ仰せ使わされた





…言うまでもないが、他の住人とて
こちらへ来る事は出来る


しかし私やチェシャ猫ほど長くはいられず


温度差の激しい時期もあってか
気まぐれな彼らはあまり訪れないのだ







暑さには極端に弱い方ではあるが…







「アリスの命あらば、炎天下の路上で
ずっと佇む事だって厭いません!」


「それの方が熱中症で倒れるから!」


「屋根の上だったら目玉焼きになれるね」


「ど、どういう意味ですかチェシャね」





言いかけた言葉尻を呼び鈴の音が掻き消し







「こんにちはー、和田さんは
いらっしゃいますか?」






間を置かずに良く通る声が聞こえてくる







「あの声は…武村さん!


「おっかしいなぁ…留守ですかー?」


「スイマセン!ちょっと待っててください!」





叫んでから、アリスは口を押さえ


それから慌てたように立ち上がる





「どっどどどどうしよう!
まずチェシャ猫を隠さないと!!







笑った顔のまま、チェシャ猫が私へと
視線を向けて問いかける





「アリスは何を慌てているんだい?」


「…万が一でも我等が目撃されないかを
懸念されているのですよ」


「僕らはアリス以外には見えないよ」


「叔父様のようにアリスに近しい人ならば
見える可能性があるでしょう」





それにあの方は以前、私の存在に
気付いているようだった







見えたとしても おかしくはない







「……見えなければいいんだね?」





そう呟いた途端…チェシャ猫の首から下が
すうっと消え始める


驚いた顔のまま固まるアリスを他所に


消える境界線が徐々に上がっていき





やがて、猫の首は完全に見えなくなった







「これで僕の姿が見えることはないね」


「う…うん じゃあ部屋の隅っこで
いいって言うまで黙ってじっとしててね」


「僕らのアリス 君が望むなら」







まったく…姿を消すのなら何か一言
告げておくべきでしょうに





と、不満を言っている場合ではなかった







「アリスが望まれるのであれば
私はここから退散し、国へと戻りますが…」


「ええっ、せっかく来てもらったのに
そんな事…あ!





アリスの見つめる先にあったのは 押入れ





「悪いんだけどはあの中に隠れてて」


「はっはい、かしこまりました」









頷いて襖を開けると 上の段へと乗り
内側から出来るだけそっと閉める





それと同時にアリスは玄関へ







…程なくして、戸を開ける音が聞こえた







「ごめんなさいお待たせして!」


「こんにちは亜莉子ちゃん こっちこそ
連絡もなしに来てごめんね」







アリスと武村様がテーブルの側に座るのが
うっすら残った隙間から見える





「はいコレ、知り合いからもらったんだ
和田さんやおばあさんにもどうぞ」


わぁ!桃ととうもろこしがこんなに…!
いいんですか?」


「うん 僕一人じゃ食べきれないからね」


「ありがとうございます!今、お茶を
持ってきますから待っててください」





立ち上がって台所へ消えるアリスを見送り







武村様は少し部屋の中を見回して







…私のいる押入れに眼を止めた









身体をやや強張らせながら奥の方へと
移動するけれど、彼は逆に立ち上がり

押入れへ近づいてくるようだ







まままままさか気付かぬ内に何か
物音を立てていたのだろうか


それともこちらの気配に気づいて…!?







カタリ、と襖が揺れて徐々に隙間が―









「たっ武村さん!?」





唐突に響いたアリスの声によって隙間は
若干大きくなった程度で留まる





「ごめんね、押入れがちょっと
開いてるみたいだから閉めようと思って」


「わわわ私が閉めておきますから
武村さんは座っててください!!」








足音が入れ替わり 勢いを付けて
襖が完全に閉められてから


私は無意識に止めていた息を吐いた







「お茶ありがとう亜莉子ちゃん
やっぱり和室って落ち着くね」


「そっそうですね…畳とかも風情ありますし」


あれ?何か足に当たったような…」


「きっ気のせいですよ!!





チェシャ猫…大人しくしているように
釘を刺されていたでしょう!









しばし薄闇の中でお二人の会話に耳を澄ます







時折、武村様の意識が別の方へ向く度に
私やアリスは戦々恐々とした心持ちとなり







「亜莉子ちゃん、悪いんだけど
ちょっとトイレ借りていい?」


「あ…はいっどうぞどうぞ!
そこの廊下の突き当たりにありますから」







彼がトイレを拝借された隙を縫って





「…今の内に チェシャ猫っ!」


「なんだいアリス?」


「とりあえず私の部屋に
二人で隠れてもらうから…おいで





チェシャ猫を抱えたらしいアリスが
押入れの前まで近寄り 静かにささやいた







ごめんね…もう少しだけ待ってて」


分かりました 動かずにじっとしてます
ご心配なさらないで下さいアリス」







アリスが和室から遠ざかっていくのを聞きつつ





少々蒸し暑さを感じる暗闇の中で
膝を抱えて座り込むような姿勢に正す











独特のニオイとこもる熱気が閉塞感を増し





気持ちをやわらげる為に小声で歌でも
歌おうかと口を開きかけ







予期せず開かれた襖と目の前に現れた
武村様の姿に硬直した








「初めまして、君が君だよね?」


「え…えぇぇぇぇぇぇ!?







優しげに笑いかけられて硬直が解けると
同時に、一気に思考が混乱する





「あのっみみみみ見えているのですか私の事!
それとどうして名前を!?」


「君や他の子達は大分前から見えてたんだよね
…名前についてはノーコメント」


他の住人達も…!?いえそれよりいつから」


「おっと、そろそろ亜莉子ちゃんが
戻ってくるかもしれないな…」





ちらりと和室の入り口を見やってから
私に視線を戻し 武村様は







「近い将来 君達と家族になるかも
しれないからヨロシクね…君」






深い笑みと共に意味深なセリフを口にした







「た、武村様今のはどういう」





こちらの問いかけを無視したまま
ごく静かに押入れの襖は閉じられた









あ、武村さん!おトイレから戻ったんですね
ごめんなさい部屋にいなくて」


「いいんだよ、何か用があったんだろう?」





…後に残るは 拭いきれない冷や汗のみ








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あとがき(というか楽屋裏)


狐狗狸:久々の登場ってことで、この際
武村さんの疑惑をハッキリさせてみました


武村:やっぱり彼らが見えてる方向
行く事にしたんだね?


狐狗狸:…そうです(諦)


チェシャ猫:どうして僕らの名前を
知っているんだい?


武村:だからそれは秘密なんだって


狐狗狸:(武村さんなら盗聴器とかアレな手段
使ってそうでコワイなー)


武村:…何か言いたそうだね?


狐狗狸:いえ何でも!




ホラーっぽければ幸いです(武村さんファン謝)


様 読んでいただいて
ありがとうございました!