建物の内部は西洋風の外見に対して
それなりに当て嵌まった造りをしている


ただ、あくまで緻密に計算されつくされた
様式美はそこに存在しない





不自然なまでに白い壁紙は何処か無機質で


病院か牢獄の壁を思わせる冷たさを
孕んでいるように、アリスには映った





「さて、これで邪魔は入りませんよ
少なくとも今のあなたにとっては…ね」





廊下を先導するビルの声音もまた

その場に相応しい冷気をまとって響く







「ねぇビル…あなたは私をこれから
何処へ連れて行こうとしてるの?」





不安と、少しの覚悟を伴った言葉に

しかし目の前の相手は答えない





長い廊下を進む合間、沈黙を恐れるように


アリスは思いつくまま問いを重ねる





"あなたの知っている真実は何?"


"この街は、どうして生まれたの?"


"は私に何を隠しているの?"








次々とぶつけられる言葉に決して答えず





「これまでの道のりは、いかがでしたか?」


彼は、ようやくそれだけを口にする





「これまでの…?」


と共に猫を探した道のりは…
あなたにとって、辛いものでしたか?





少しだけ足を止めて これまでの記憶を
出来る限り思い起こし彼女は





「…いいえ





留まるビルへ 確信を持って答えた











第十三話 目覚めの刻限











何もかも唐突に巻き込まれては


自ら生み出した住人達に強引に
引っ張られて右往左往するこの世界





驚かされたり、思いもかけず恐ろしい目に
合わされた事は今までと変わらない





けれども…この街では一度たりとも


強い悲しみや寂しさに打たれて
足を止める事が無かった





不安が広がる隙を与えないように


出会った住人達とは、自分へ
話しかけ 笑いかけ楽しませてくれていた





「ならばこれから会う相手と真実は
あなたにとって、最も辛いでしょうね」


深くかぶった警帽とぬらぬらとした緑髪を
縫って相手を射る冷たい視線





「…それでも知りたいですか?」







聞くまでもなく ここにいる時点で
答えは決まっていたが


敢えて訊ねた"真実の番人"





「お願い…教えて、ビル


アリスは自分の口でハッキリと答えた





「そうですか…それではこちらの部屋へ」







再び歩き出し、窓の無い白く長い廊下の
突き当りに案内された彼女の前には


重厚な年月を重ねた樹木で造られた

壁の冷たさにひどく釣りあった片開きの扉





人骨を思わせる細く白い指でそれを開き
ビルが室内へと相手を誘う





六畳ほどの広さの内部にあるのは


四方を取り囲む白い壁と天井、ささやかな
シャンデリアと質素な絨毯





そして目の前の壁柱にかけられた

静かに光る 縦に伸びた楕円状の鏡が一つ







「アレ?誰もいない…?」


戸惑いながら絨毯を踏む足は





『とうとう…ここまで来たんだね、アリス』





呼びかけに反応して、鏡へと向けられる







覗き込んだそこに映し出されるのは
驚きを露にする彼女の鏡像…ではなく


目も口も鼻も漆黒に塗り潰された

平坦なだけに見えてしまう黒い輪郭





けれどもその姿形をアリスは


見間違えることも 忘れることも無かった





「あなたまさか…シロウサギの…!





小さく、鏡の中の"影"が頷く





『そう 僕は実体の無い鏡の国にのみ
存在を許される…彼の空蝉

本来ならば会う事すら許されない存在





何も言えぬまま立ち尽くす彼女には


顔が無いはずの彼が向けた
慈愛の眼差しがハッキリと感じ取れた





『でも…最期に一目、成長した君に
会えてよかった』


「最期…?」





優しく哀しげに響くその一言を反芻し


アリスの脳裏に、ある予感が浮かび上がる





それは至極当然でありながらも、何処かで
思考することさえ避け続けていた"真実"







振り返る彼女へ、透かしたように返すビル





「あなたの心から創られたこの国は…
間も無く、終わりを迎えます







無感動な言葉に対してアリスがまず想うのは


"とうとう来てしまったのか"という
諦めにも似た現実肯定





だが頭では理解していたとしても


心はまだ少し追いつかず、戸惑いと
絶望とが綯い交ぜに湧き上がる







『あの日からずっと、僕らは共にあった』


「あなたの喜びも苦しみも歩んだ道のりも
ずっとずっと側で見守り続けてきました」


『全ての真実を知った日から…君はもう
一人でも大丈夫なほど強くなった』


「私達はもう…必要ないのです」





硬直し続ける彼女の耳に、二人の言葉は
無情に響き続ける





『だから、いなくなってしまう前に
君に楽しい思い出だけを残したかった』


「私達を創り出してくれた
せめてもの…お返しとして」







別れ際に交わされた言葉や表情が
一つ一つリフレインして






ようやく彼女が言葉を放つ


「そ、んな…それじゃあ、皆は
その事を知っていて私に…?」


「私は真実を告げるのが役目です…けれど
あなたを揺るがしかねない真実ならば
伏したままでもいい、と決めていました」





ビルの返答が全てを物語っていた





問いかけた自分の言葉だけに留まらず

ジャムパンや女王の必死な表情に…


が私の側にいたのも…現実に
戻った時に記憶を消す為?」





隣にいたのが"導く"猫ではなく
"記憶の番人"の彼であった、その理由さえも





「国の者全てで話し合って決めたのです
彼としても…苦渋の決断でした」


「けど、そんな大事なこと私には一言も…!


『知ってしまえばきっと君は悲しむし
未練にも繋がってしまう…だから…』





ついに こげ茶色の瞳から一滴
静かに涙が伝い落ちる





「だからこのまま…何も言わずに皆で
私の前から消えようとしていたの…?」






突きつけられた現実を理解しているからこそ


これが、どうしようもない"真実"だと
知っているからこそ





彼女の涙は止まらなくなった







『泣かないで、アリスは何も悪くないんだ』





宥めるようにささやく鏡の中の彼は
元々の本体と同じ様に優しくて


それが益々、自ら生み出した世界や
住人達との別れを惜しませ雫を増やす







すすり泣く相手へ 冷えた声音が滑り込む







「私達はいずれ消え行く運命…もはや
あなたに出来るのは別れの言葉をかけるのみ」







決別を告げるのは、彼らの繋がりを
自らが断ち切る事と同義で


それがどれ程辛いか熟知していて






「それでも、皆の元へ行かれますか?」





それでも敢えて 彼女へ問う


それが"真実の番人"ビルの役目だから







涙を拭い…アリスは口を開いた





「あなた達を生み出したのが私なら…
お別れも、私がきちんと言わなくちゃ









言葉の残滓が白い空間に落ち込んで





やがて、シロウサギの影が呟く





『外へ出たら、猫と共に歌が聞こえる方へ
歩いてお行き…きっと皆に会えるから


「ありがとうシロウサギ…じゃあね、ビル」







二人に頭を下げ、重い色合いの扉へ
手をかけて出て行く主を見送り





「また…お会いいたしましょう、アリス」





ビルは小さくそう言った









部屋の扉を開けば、そこに廊下はなく
やはり見覚えの無い街の通り





目の前には忠実に待ち続けていた
灰色フードの"導く者"





「チェシャ猫…はどこへ?」


「みんなの所さ」





いつものニンマリ顔でそう言うと


音もなく寄ったチェシャ猫が、彼女へ
片手を差し伸べる





「行くよアリス」


「…ええ」







その手を握り返し 二人は見慣れぬ
異国風の街道を歩き出す









低く小さく、けれども確かに聞こえる歌声


幼い頃 茜に暮れる空の下で何度も聞いた

とてもとても懐かしい旋律





遊びに没頭する子供達へ日暮れを告げ


温かな家へ、迎えてくれる人の下へ
帰るよう…優しく促すような詩






一歩ずつ前へ踏み出す毎に


声の大きさと…そして人数が増してゆく







「まるで皆で、合唱をしているみたいね」





努めて明るくそう言うアリスへ





「そうだね…そこを右に曲がろう」





チェシャ猫は軽く返して先を促す







古ぼけたアーチ状のトンネルを猫と共に
潜り抜けた、その先には







白い砂浜から続く朱い空と赤い海


―そして海上に立つ、住人達の姿








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あとがき(というか楽屋裏)


狐狗狸:とうとう街のネタばらしまで来たので
恐らく次回辺りこの話も終幕を迎えるでしょう


アリス:そっか、もうこの話が終わったら
歪アリの作品も終了なのよね…


シロウサギ:仕方ないさ 決めていた事だから


狐狗狸:申し訳ないけどね…ホント
てゆかビルはいままで何やってたの?


ビル:住人の動きも把握してましたから
陛下に電話をかけたり、主に裏で手回し
行っていたのですよ


アリス:そうなんだ…でもどうして
また警官の制服姿?


ビル:……さぁ?




次回…住人達との最後の別れと、


様 読んでいただいて
ありがとうございました!