「「チェ…チェシャ猫っ!」」





ニンマリと笑う口元もそのままに

チェシャ猫はアリスの身体を立て直す





「た、助けてくれてありがとう…でも
あなた一体どこに行ってたの?」


「猫は気まぐれな生き物なんだよ?」


「そういう事を聞きたいんじゃ無くて」


「それよりもここから脱出する方が
先なのでは無いでしょうか」





直後にカツン、と硬質の音が鳴り響き


彼女は追われている現状を思い出す





「女王に追われているのかい?」


「単刀直入に言えばそうなります」


「私と別れるのが寂しいって言ってるの
…でも、とりあえず戻らなきゃいけないし」







またもや自然に口から零れたそのセリフと

ニンマリ顔が微妙に変化した事への
微かな違和感に気がついたものの


彼女がそれを言葉にする前に





「そうだね…ついておいで二人とも


滑るようにチェシャ猫が歩き出す





「行きましょう、アリス」


「え、あ…うん」











第十二話 廻りだす時計











導かれるまま、二人が入ったのは
長い廊下の先にあった扉の一つ





「何ここ…時計だらけ…





扉の先にあった室内を制していたのは


以前に訪れた、天蓋つきのベッドや
絨毯などのしつらえられた調度品ではなく


壁や床やあつらえられた古い木製のカウンターを

埋め尽くすが如く置かれた時計





「あの時の牢屋より時計の数が多い…
ここ、一体何なの?」


「どうやら時計君曰く、時計屋らしいです」





あらぬ方へ視線をやり そう答える


アリスには全く見えないが恐らくそこに
"時間君"がいるのだろう





「な、何でお城に時計屋さんが?」


「シュッチョウして来たんだって」


「出張って…そんなサービス
時計屋さんにあったっけ?」





首を傾げる彼女の問いに答えは無く


閉めきった空間で時を刻む針の根だけが
規則正しく空気を埋め尽くすのみ







カツ…カツ…と床に反響する鎌の柄と





「アリス…ねぇ、どこにいるの?
またかくれんぼ?」


麗しく、それでいてどこか悲しげな
女王の声が段々と近づいてくる





「でも今度は見つけるから その部屋でしょ?
今から行くから待っていらして?」





迫る声音に、今にも扉を開いて
鎌を振り上げ襲いかかる女王の姿を想像し

アリスの血の色が見る見る引いていく


「ね、ねぇ…女王様がここに来るのも
時間の問題みたいなんだけど…」


「大丈夫だよアリス、耳をお塞ぎ?
君の耳はやわいからね」


「へ…どういうこと?」





答えずチェシャ猫は、近くの柱時計へ
ゆっくりとした足取りで歩み寄り


人差し指でくるり、と針を掻き回す





途端に店内全ての時計が めいめいの
アラートをあらん限りに絶叫し始めた



「きゃあああああああぁぁぁっ?!」





けたたましい音の洪水に飛び上がるほど驚いて


それから忠告通りに耳を塞ぐけれども
音は容赦なく彼女を侵食していく





「っちょ、耳が…」







あまりの騒音に耐えかね、"うるさい!"
一喝しかけたその時





両耳を押さえていたその手に
一回り大きな手がそっと重ねられた





ほんのりとした温かさを感じ


同時に彼女を悩ませていた音が少しだけ

耐えられるだけの音量へと下がる





…あなた、もしかして歪みを?」


「申し訳ありません…差し出がましいながら
こうする事が一番と思いましたので」





グルグルとデタラメな速さで針が廻り







そして前触れも無く 時計が一斉に鳴り止んだ







「さぁ、もう出ても大丈夫だよ」





淡々と呟いたチェシャ猫の一声で


ハッと我に返った彼が 顔を赤らめながら
慌てて重ねていた手を離す


「そっそそそそそうですか!でっでは
私が扉をお開けいたしましょう!!」


「え、ちょっと待って 大丈夫なの?」





戸惑うアリスへ宥めるようにチェシャ猫が言う





「安心おし、怖いことにはならないよ」


「そう?でも…」





不安げな様子を払拭するかのように
店の扉が開かれて、その先には―







「…街の道路だ」





女王の城の豪奢な廊下ではなく


見覚えの無い あの街の路地






「行こうかアリス」


「あっ、待ってよチェシャ猫っ」







するりと外へ出た猫と彼女を追ってから





「それでは私達は行きます…ご助力
ありがとうございました、時間君」






振り返り、頭を下げた彼へと答えるように


カウンターの側にかけられていた
鳩時計が一つ ぽっぽーと鳴った







「やっぱり今まで通ったどの道にも
繋がってないみたい…」





もうすっかりと見慣れてしまった
異国風の街並みを見回す彼女へ





「そうですね…でもご安心ください
猫と合流したなら、もうすぐ帰れますよ」





優しい声と共に微笑が返されるが


それが何処かぎこちないように見えて
先程の廊下でのやり取りを思い出させた





「さっき聞きそびれてたけど、
私に何か隠してるよね?


「…気のせいですよ」


ウソ それならどうしてそんなに
悲しげな目をして笑うの?」


「それも…気のせいです、忘れてください





静かな一言はそれ以上の詮索を
許さぬ響きを見せていて


何も聞けぬまま口をつぐんだアリスに
頭を下げ 彼は視線を逸らした









そっと近寄ってきたチェシャ猫が
小さく、けれどもハッキリとささやく





「アリス…どうしても
街の真実が知りたいかい?」


「あなたは知っているの?」


「知っているさ…僕だけでなく
そして国のみんなも、ね」


「だったらどうして」





微かに、けれど確かにフードのついた
頭が横へと振られる





「聞いても僕らには教えられない
それを伝えるのは番人の役目だから」






脳裏に浮かぶのは緑色の髪をした
"真実の番人"





真実は時に残酷だよ?
…それでも、知りたいかい?」





低く真剣な言葉とフードの奥の視線を

しっかり据えて 彼女は答える





「大丈夫 どんな真実だったとしても
逃げないでちゃんと受け止めてみせる」








しばしの間を置き こっそり猫は左手で

通りの向こうに見える建物を指差す





「…僕がの気を引いたらあの建物へお行き
君に答えを与えてくれる」





言うや否や、音も無く身をひるがえし


チェシャ猫は彼へと飛びついた


「うわぁっ!何をするのですか猫っ!!」





その声を合図にアリスは駆け出す







「あっ…お待ちくださいアリス!」





圧し掛かる灰色のフードをどうにか退けて
彼女へと追いすがろうとするも


「ダメだよ邪魔しちゃ」





すぐさま背後へ猫がへばり付いて
バランスを崩し、彼は路地へと倒れこむ





「何をするんですか お放しなさい!


「イヤだね」







そんなやり取りを繰り広げる合間に建物へ
辿りついたアリスが扉を叩く


すると、いともあっさり扉は開かれた





どういたしました?アリス」


出迎えたビルは警官の制服を着ていて


まるで"あの時"の再現のような状況に
思わず目を丸くする相手に対し





「真実が知りたくてお困りでしょう
それが望みとあれば…お教えいたします





落ち着いた様子で答えるビルの顔は
薄く張り付いたように笑っている


生唾と不安とを飲み込み


彼女は頷いて中へと足を踏み入れる





「ダメです、お止めください!
行かないでアリス!アリ―」








必死に追った目の前で扉が閉まり





呆然と立ち尽くしたままの

やがてゆっくりと チェシャ猫へ向き直る





「猫、どうしてあなた…!」


「アリスが願ったんだ
この街の真実を…知りたいと





金色の目にはこれ以上に無い険が含まれ
ニマニマと笑う猫を責め立てている





だから導いたと…?この街のことは
散々話し合って決めたはずでしょう
あなただって、それを承知して」


「猫は気まぐれな生き物さ
それに、僕はアリスの猫だ」


「……あなたという人は…っ」








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あとがき(というか楽屋裏)


狐狗狸:チェシャ猫の導きにより、真実の番人に
会う下りまでやって参りました


チェシャ猫:トカゲより猫の方がおいし


アリス:食べないってば それより歪みを
吸い取っては大丈夫なの?


狐狗狸:ごく少量だから平気でしょう


アリス:そう…ならいいけど
でも次はいよいよ、大詰めよね…


ビル:とはいえ然程大した真実でもありませんが
ゆっくりなさっていってください


狐狗狸:それ私に向けての嫌味っすかビルさん?




真実を告げるのは、番人と鏡の奥の"彼"


様 読んでいただいて
ありがとうございました!