女王がチェシャ猫を嫌っている事は
彼女も含めて、周知の事実だった
住人特有"人の話を聞かない強引さ"の
一番顕著な者が女王であることもまた然り
覚えのありまくる強引な流れに
アリスは視線で助け舟を頼み
察した相手が、おずおずと口を開く
「あ、あの陛下っ恐れながら申し上げますが」
「おお!じゃないか〜いい所に!」
人を掻き分け後方から現れた
ウミガメモドキが、セリフの先を遮る
「あの…私に何か御用でしょうか?」
「当たり前じゃないか!」
お玉をピコピコと振りかざした
ウミガメモドキが彼の片手を掴む
「久々の賑わいで忙しくて、料理に手が
回らないんだ 少し手伝っておくれよ!」
「えっ、ちょっと待ってくださ…!」
有無を言わさぬウミガメモドキに引きずられ
は城のキッチンへと消えていく
「あっ、ちょっと待って」
慌てて止めようとするけれども
彼女の片手は女王に握られているので
そこから身動きがとれず
助け舟が退場していくのを切ない目で
見つめることしか適わなかった
第十一話 踊る、踊る
そして、何事も無かったかのように
艶やかな笑みを浮かべて女王は言う
「ちょうど邪魔者もいなくなったことですし
わたくしとダンスをいたしましょう?」
「ええっ でも女王様、私ダンスなんて」
「大丈夫よ、わたくしが優しく
教えてさしあげますわ…ね?」
アリスの腰を抱えた女王が腕を引き
フロアに流れる音楽に合わせて
軽やかに足を踏み出した
「わっわわっ、わ…!」
戸惑いながら彼女も釣られて踏み出し
クルリクルリと音に従って回りながら
二人はフロアを巡りだす
小さく、けれども共に踊っている
相手には聞こえるような声量で
女王は一つずつダンスの手解きを教えていく
「そう…ゆっくりスロースロー、ステップ
アリスは筋がいいのね」
「そ…そうかな?」
「ええ、わたくしが言うんだから
間違いないわ…自信を持っていいの」
嬉しそうに微笑む彼女に指示されながら
ぎこちない動きで足や手を運ぶうち
段々とコツを掴んだアリスは
少しずつ、踊ることが楽しくなってきた
「女王様のステップって軽やかね…
やっぱり、お城に住んでる人は違うなぁ」
「ありがとう でもアリスだって
こうやってちゃんと踊れるでしょう?」
小さな鈴を転がしたような、キレイな声で
愛らしく微笑む女王に
僅かばかり頬を上気させつつ頷くアリス
辺りを見回せば 食べ物や飲み物を
口に運んでいる人や
同じように踊っている二人組
或いはおしゃべりを楽しむ人達が
ちらほらと目に映っては通り過ぎる
先程まで疑問の塊だったはずの光景が
どうしてか今は温かく、輝いて見えて
彼女は心の中で呟く
(もしかして私が始めにこの国へ来た時
こんな風に…活気に満ちてたのかな?)
演奏が最後の音程を吐き出し、余韻を
漂わせる小休止の中
女王がピタリと足を止め、ドレスの裾を
上品に摘んでお礼を返す
「踊っていただいて、ありがとう」
「あ、いえ、こちらこそ…」
しどろもどろになりながらも同じように
礼を返すアリスへ、彼女は小さく笑う
「気にしなくていいの、わたくしは
番人達と違って礼儀にうるさく言わないわ」
「あ、ありがとう…でもって
そんなに礼儀作法に厳しいの?」
この場にいない"真実の番人"ならば
その言い分にとても説得力があるけれど
少なくとも"記憶の番人"の彼が
厳しく相手へ礼儀を問う姿を想像するのは
やや信じられないような気がした
「軟弱だからそう見えないかもしれないけど
も礼節については良く口を出すのよ」
特にトカゲと二人で組んでマナーなんか
説いた日にはもう…と眉をしかめるその表情が
見た通りの幼さを示していて
思わずアリスの口から笑みが零れた
「女王様も変わって無くて…何だか安心した」
「アリスは…ちょっと背が伸びて、前よりも
現実を受け止められるようになったわね」
眩しいものでも見るように細められた目が
どこかくすぐったく感じる
「でも、優しくて愛らしい所は
ちっとも変わらないわ」
「ありがとう…ねぇ女王様」
一息ついて街のことや城の人々について
いろいろ訪ねようとした矢先
割り込むように畏まった執事が進言する
「女王陛下、お電話でございます」
「今忙しいの 後にしてちょうだい」
「それが…急な御用とのお知らせで」
闖入者に眉をしかめていた女王は
ひとつ息をつくと、こう告げた
「…すぐに出ると伝えておいて
ごめんなさい、すぐ戻るからね」
気遣うように笑んで、女王は使いの者と
別の部屋へと消えていく
入れ替わるようにしてが戻ってきた
「遅くなって申し訳ありませんでした」
「ううん…それより、大変だったみたいね」
「ええ、ちょっとした戦場でした…
料理人の職は侮れませんね」
疲労の色を濃くしつつも、彼は気を取り直し
視線で大きな階段の先を示す
「…ウミガメモドキから聞いた話によると
どうやら猫は、二階にいるそうです」
「わかったわ 行きましょう」
頷き、足を踏み出した彼女の背後から
「どこへ行くのアリス?
まだまだ舞踏会は終わらないわ」
優しげな笑みを称えて、女王が歩み寄る
「陛下…アリスは猫と会う事を望んでおります」
「番人は黙っていなさい、ねぇアリス
舞踏会は楽しくなかったの?」
「そうじゃないわ…とても楽しかった
けど、ずっと留まってはいられないの」
自然とそう口にしつつも、アリスは
特に驚きはしなかった
奇妙ながらも楽しいこの場所を離れる事と
猫と会えば何かが終わる事は、どこかで
気がついていたのかもしれない
謝りつつ階段へ一歩足を踏み出した
その背に、女王が強く抱きつく
「猫なんて後ででも探せるじゃない
…ねぇ、もう少しだけここにいて?」
哀願する声音に振り返れば
今にも泣き出しそうな、悲しげな瞳が
かち合って心を痛ませる
どうしたものかと身体をやんわり剥がしつつ
向き直ってから 彼女はあることを思いたつ
後ろ手に回した右手が、握られた
何かの感触を伝えたのを感じ取り
「ゴメンね女王様…でも、泣かないで」
悲しそうに見つめる女王へ差し出したのは
赤く美しい一輪の、バラの花束
「また今度、落ち着いた時に会いに来るから
今はそれで我慢して…お願い」
優しい微笑みで語りかければ
相手はゆっくりと花束に手を伸ばし
受け取って、嬉しそうに笑ってみせた
「ありがとう…アリス」
納得してもらえたと安心し
階段へと再び意識を戻したのも束の間
「でもゴメンなさい…これでもう
お別れだなんて、やっぱり寂しすぎるの」
「あ、あのちょっと女王様!?」
言葉に雲行きの危うさを感じ、一歩
身を引いた彼女の感は正しく
「やっぱり首になって、ずっとずっと
わたくしの側にいてちょうだい!」
女王はトレードマークである大きな鎌を
何処からとも無く握り締めていた
「け、結局こうなるのね!!」
「アリス こちらへ!」
急激に距離を詰めて振り下ろされた刃を
ハンマーの柄が受け流し
二人は必死に階段を駆け上がり
二階の長い廊下へと飛び込む
生首と血痕が無いながらも、薄暗さと
後を追う者の存在が彼女の恐怖を煽る
「こうして走ってみると…改めて
この廊下って広いと思うわ」
「そうですね、案外手間取りましたから」
「え…それって、どういう意味?」
ぽつりと零した相手の一言に
噛み合せの悪さを感じ、足を止めずに訊ね返す
「あ、いえその…以前ここを走った覚えが
ありましたので それで」
気まずげに言葉を濁すその姿を見て
確信に近い思いが彼女へ芽生える
「ねぇ、私に何か隠してるで…きゃあっ!」
問いかけの最中にバランスを崩して
身体が床へと倒れかかり―
空中でガクン、と固定された
瞬間的に助けたのは隣にいる彼ではなく
「アリス…慌てて走ると危ないよ?」
聞き覚えのある声と嗅ぎ慣れた獣のニオイ
そして、探し求めていた灰色ローブの姿
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あとがき(というか楽屋裏)
狐狗狸:ようやく事態進展、そして我らが
チェシャ猫のご登場でーす
女王:別に出てこなくともよかったのに
チェシャ猫:首狂いの出番はここで終わりだよ
狐狗狸:あーそこ睨み合わない!てかケンカ
ダメだからね君らっ!!
女王:こんな猫がいなければアリスともう少し
一緒にいられたのに…猫といい番人といい
本当に余計なことばかり…
チェシャ猫:成り行きなんだし諦めなよ
むしろの導きが遅すぎて退屈なくらいさ
狐狗狸:そこはまぁ、職務の違いというか
彼の性格が災いしてるって事で…(苦笑)
再会した猫の導きで、歯車は廻りだす
様 読んでいただいて
ありがとうございました!