「まことに、すまんことをしたのう」
それが 元に戻って最初に発せられた
グリフォンの第一声だった
「いえ…仕方のない事です
あなたのせいではありませんよ」
私は肩で息をしつつ そう答えながら
「所で…まず身体を拭きたいのですが
何かタオルなどはありませんでしょうか?」
続けつつ、両腕を擦った
どういう仕組みなのかよく分からないが
とにかく水の中にいたのだ
私の身体は全身ぐっしょりと濡れている
…おまけに、鋭いクチバシと牙を受け
頭や両腕のあちこちから血が滲んでいた
「すまんが生憎拭くものはのう…
がしかし、身体を温める事は出来る」
「あの…仰る意味がわかりません」
グリフォンは蛇の頭をくぃ、と岩棚に向ける
「もうすぐ、あの棚から落ちる
植物達と頭の燃える虫が焚き火となる」
まるで振り返ったその動きが合図のように
棚にあったらしい奇妙な植物群と頭が燃え盛る
虫の入ったカゴが一斉に床へと落ちて
それらが強い炎を上げた
第九話 二つの卵
「な…何故、こうなるとお分かりに!?」
「この世界はどうやら妙な具合になっておる
現象が逆転する事もしばしばあるようでな」
言葉を切り、つぶらな黒い目でこちらを
見やって 彼は私の為にこう付け加えた
「平たく言えば、事の経過が逆になるんじゃよ」
「…ああ なるほど」
丘を登る時も逆向きで上がって
ようやくたどり着いた
それに陛下も"怪我をする時は先に包帯を"と
仰られていた…あれはそういう意味か
蛇の身体がするすると私の左腕に巻きつく
攻撃の意など全く無い、優しい感触だ
「巻いてやれる包帯は無いが、あの焚き火で
身体を温めてから行きなさい 」
「ありがとうございます…ですがグリフォン
行くとは、どこにです?」
ふぅ、と小さなため息をついてから彼は
静かに口を開いた
「赤い道化師…ジャバウォックを
探しているのだろう?」
そうだった、色々と立て込んでいたから
すっかり失念していた!
「え、ええ!ご存知なのですか!?」
蛇はこくりと頭を縦に振ると
するりと腕から離れ
「ワシの口からは何も言えぬが、おぬしの
力になる者は この先で待っておる」
言って 洞窟の奥の方の棚を目で示す
「あの奥の棚にある卵を目指して進むといい
きっと、暗号を解いてくれる」
どうして私の持っている暗号の事を
知っていたのかは、分からなかったが
久々に言葉の通じる者との会話と
グリフォンの低く優しい声音が
私に安心を与えてくれた
「貴重な情報、ありがとうございます」
それから私は 少しだけ炎の前で暖を取る
「う…ウマソウ…」
「ひぃっ」
「これ、を食うでない」
時折 ワシの頭に突かれそうになったが
その度、蛇が諌めてくれたのだった
滲んでいた傷口の血も固まり
濡れた身体も温まり、衣服もある程度
乾いたのを頃合に私はグリフォンに別れを告げ
示された棚の卵に向かって歩き出す
その卵は、他の棚の品物と違って
私の視線から逃げたりせずそこにあった
…あんな物 ここに来た時には無かったはず
棚へと近づくにつれ、周囲は暗くなり
横手から徐々に木が生え
景色が再び変わってゆく
しかし、慣れたもので私はさほど驚かない
いつの間にか出来た小川を越すと
暗かった景色はすっかり明るくなり
洞窟から木々と壁のある小道に変わる
遠くにあった棚の卵も、壁に座った
大きくて黒い卵の影に……
卵の 影…!?
すぐ側まで近づいて 疑いは確信に変わった
「あ、あなたは私ですか!?」
ひどく見覚えのあるそれは、こちらへ
僅かに身体を傾けると
「あったり前じゃないか!何だよ
もう自分の元の姿を忘れたのかよぉ!」
自分とは思えない乱雑かつお気楽な口調で
笑うように答えたのだった
影になって黒い姿形だけとはいえ
見間違うはずも疑う余地もない
目の前で壁に座っているのは…
かつての元の姿の影だ
「しかし、私は一度死んだあの時以来
もうその姿には戻れなくなったはず」
「姿が無くても影が残ってるヤツは
この世界にいるじゃねぇか」
確かに…私が最初に会った
シロウサギの影が、まさにそうだ
「だから帰る姿のねぇオレはここに
いるしかないし、言い換えればここにいんのが
当然ってワケだ 分かるか?」
「はぁ…」
影は私の返答が気に入らなかったらしく
何だそのため息は、などと呟きつつ
座したまま腰を擦るようにほんの少し近づく
「てーかもうちょっと感謝してくれよ
オレがここにいるからお前さんは
影に捕まんなかったんだからよぉ」
「我の影ながら図々しいですね」
呆れつつ、鋭い視線を影へと寄越す
「私を捕らえ切れなかったと
シロウサギから聞いておりますが?」
「あー…あはは、何だよウサギのやつ
おっしゃべりだなぁ〜」
あからさまな動揺の気配から察するに
否定はしないらしい
こちらの心中を読んだのか、影は
慌てて弁解を始める
「いやでも、オレが追ったのは
女王の城の辺りだけだって!
後のは全部他の奴等がだなぁ」
「どうしてその場所から先は
追わなかったのです?」
「だってオレは壁のある土地以外は
動けないもんよ 認識歪んじまったから」
…シロウサギの影よりは行動範囲は広いが
それでも移動は限定されている、と言う事か
「言い分は分かりました…それは別として
私の質問に答えていただけますか?」
「あー、グリフォンが言ってた暗号の解読な」
「知っているのでしたら話が早くて助かります」
「一応お前の影だからな、でもさぁ」
急に影は ねちっとした口調でささやく
「人に物頼む時はそれなりの態度って
モンがあんのは知ってっかぁ?」
「…どのような態度ですか?」
鼻でハン、と笑いながら影は更に
人を小馬鹿にしたように
「だからぁ、土下座しながら
"様 どうかアホの私めにお知恵を
お貸しください"って泣いて頼」
言葉半ばで 我が影は目の前の地面へ落下した
間髪入れず私が壁に叩きつけた
ハンマーの衝撃から逃れる為だ
上手く受身を取って着地した影へ
「自分の影であってもそんな
ふざけた真似はごめん被ります」
散々影に苦労させられた怒りの矛先を
向けるべく ハンマーを振り上げる
へたり込んで後退りしながら
影が白いヒビの入った右手を前に突き出す
「ちょい待ちっ、オレを割ったら
お前さんまで割れんだぜぇ!?」
「アリスを助ける為なら、我にためらいは
ありません!今更怪我の一つ二つなど!!」
「分かったっお前の気持ちはよっく分かった!
正直に答えるからハンマーしまえ!!」
…こちらの焦りと本気の苛立ちを
ようやく理解していただけたようで
「最初からそう答えていただきたいものです」
ニッコリと笑い、手元のハンマーを掻き消すと
しまっていた二つの紙の内 暗号の書かれた
件の用紙を影へと手渡した
「…オレは壁の上でじゃねぇと考えが
まとまらないんだよ、乗っけなおしてくれ」
「構いませんが しかし触れたら戻るのでは」
「バーロー、オレが今更お前さんの身体に
戻れるわけねぇだろ」
「…そうでしたね」
両手で黒い身体を脇から支えて持ち上げ
意外と重量のあるそれを、再び
元の壁に腰掛けさせてやる
その合間も影は瞳の無い顔で
暗号の記された紙を穴が開くほど見つめ
「おい、もう一個の方も寄越せ」
「え、あ はい」
つっけんどんにそう言われ、私は
絵の描かれた方もそちらに渡す
両の手に持った紙を見比べて
「なるほどな…分かっちまえば
こんなもん簡単な暗号じゃねぇか」
影は いともあっさりとこう言った
「分かったのでしたら、早く内容を」
「まぁそう焦んなって
つまりだ、コイツはガキの暗号だよ」
「子供の…ですか?」
僅かに首、いや身体を頷くように前に倒し
影は持っていた紙の片方を差し出すと
「もう一個の絵に シャボン玉で遊んでいる
ガキの絵が描かれてたろ?」
思わず差し出された―絵の描かれた紙を
受け取り、それを改めて見つめ直す
…い、言われてみればそう見えなくも無い
「絵の丸がシャボン玉とよく分かりましたね」
「当たり前だろ、だってこれ
アリスがお前と遊んでた時の絵だろ?」
"見覚えがある"とハリーと親方の二人が
言ったのも当然だ
今の今まで 何故忘れていたのだろう
幼いアリスにまだ会いに行く事が出来
シロウサギが私を遠ざけるほど
歪んではいなかった頃
シャボン玉を作れる道具を持って来たアリスに
それにまつわる歌を聞かせて欲しい、と
せがまれて歌った事があった
これは……その時にアリスが描いた絵か
「だから、その歌の歌詞通りに"飛んだ"
"消えた"モンの文字を消してきゃいいんだよ」
得意げに言う影が 残った紙を突きつける
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あとがき(というか楽屋裏)
狐狗狸:やっと暗号解読までこぎつけました
にしても九話って遅すぎ…
グリフォン:自分で言うかのう、しかも
ちゃっかり逆転経過のネタを書くし
狐狗狸:まーね(苦笑)それよりグリフォンは
どうして影の時の記憶とか知ってたの?
グリフォン:ワシにも分からんが、に
行った言動はおぼろげながら覚えておった
…助言については他の者と同じ理由じゃな
狐狗狸:まだまだ不思議ってか謎が多いようで
グリフォン:逆に聞くが、の元の影は
と繋がっておるのか?
狐狗狸:いびつな状態では同一とされてるから
本人の受けた傷のリンクとか、真逆な発言は
他の影と変わりはありませんが…
グリフォン:正確には同一ではないと?
狐狗狸:そう、彼が捕まらなかったから
もう一人の自分的な存在でもあります
次回 暗号解明と共に妙な一団が…
様 読んでいただいて
ありがとうございました!