最初から、答えは単純だったのだ
アリスの分身ともいえる彼女ならば
他の住人達を大人しくさせる事も出来る
影を操り、断片的な記憶を持たせる事も
鏡の中に別の世界を作り上げる事も
己の姿を偽った虚像を、実像のように
動かし 自在に出現や消失する事も
…そう、逆にアリスでなければ
ここまでの事は出来ない
「私とビルとの対局も、ビルをこちらへ
引き込んだ際に知ったのですね?」
訪ねるも、答えは無い
アリスの影は 人形を抱いたまま
こちらを睨みつけているようだった
「…どうして現実へ戻そうとするの?」
震える声で呟いて、影は一歩後退さる
「辛い現実を知るくらいなら…オカアサンみたいな
大人になるくらいなら、ずっとこのままがいい」
その言葉は どこか以前の私を思わせた
第十六話 逆夢を終えて
彼女はアリスの分身であり アリスの影
無意識下で追いやられ、しまい込まれた
思いと歪みが凝ったもの
それでも大半はシロウサギと住人達が
請け負っていたが
…きっと残っていたそれとシロウサギが
抱いていたモノとが合わさって
そうしてこの場所は…影達は生まれたのだ
「アリス…人が大人になる事と
真実を変える事は、誰にも出来ないのです」
「嫌だ!」
アリスは、激しく首を横に振る
「私を苦しめ続けていたオカアサンなんて大嫌い!
あの人と同じ大人の仲間入りなんか嫌!
それを押し付けようとする現実なんか大嫌い!」
その言葉は突き刺さるように鋭くて
本心からのものなのか、影特有の嘘なのか
私には分からなかった
「真実を教えたトカゲが憎い…私を哀れむ
住人が憎い…導く猫が憎い………
記憶を守る が憎い…!」
搾り出すように言うと、影がカッターナイフの
切っ先をこちらへと向ける
「それほど、全てが憎いのですか?」
「ええ 憎いわ…全て壊してやりたい」
「そうですか…」
アリスの影を見つめ…私はハンマーを手放した
カラン、と高い音が床に反響する
「影であろうと、あなたもアリスである事に
代わりはありません」
言いながら両手を左右に大きく広げる
全てを、抱きとめるかのように
「私の存在が邪魔なのであれば そのカッターで
心臓なり喉なりお好きに割いて構いません」
「…本当に?」
「もう抵抗など致しませんよ
記憶の番人の、名にかけて」
一歩…また一歩ゆっくりとアリスが近づく
左に人形を握り締めたまま
我は 記憶の番人
他ならぬアリス自身が我の抹消を望むなら
アリスが自らの世界に浸る事を、本当に
望んでいるのなら…
この身など惜しくは無い
アリスの影が右手のカッターナイフを振り上げる
狙うは 恐らく心臓
「死ねぇぇぇぇぇぇ!」
私は僅かに口の端だけで笑うと、目を閉じた
……いくら待っても
いくら待とうとも 一向に痛みはやってこない
おかしいと思い目を開けると、そこには
腕を振り上げたまま震えるアリスがいた
「何で…どうして出来ないの…?」
振り下ろそうとしている様子は垣間見えるが
腕は主の意思に反し動かない
いや、腕だけではない
彼女の身体が まるで彫像のように硬直している
「私は、私はを憎んでいるのに…!」
「あなたのその言葉は本当でしょう」
動かぬ影へ、私はそのまま問いかける
「私はあなたに恨まれるだけの事を
してしまいました」
思い出すは…歪んでしまった際の罪
「ずっとあなたが抱えていた、オカアサンへの
恨みや現実への憎しみも嘘ではない」
「そうよ、私は全てが憎い!」
「でも…それはあなたの本心ですか?」
問いかけに 影が押し黙る
「分身といえど、あなたの中にはアリスの魂が
宿っているのです それを教えてくれたのは
他ならぬ、あなた自身です」
口にしつつ、気付いたのは私も同じだった
暗号に自らの正体や手がかりを残したり
影から解放された住人へ、断片的な記憶を
聞けるようにしておいたり…
「本当は、気付いて欲しかったのでは
…止めて欲しかったのではありませんか?」
「違う…違う!あれはただの遊びの余興!」
「いいえそれはおかしい 本当に全てが憎いなら
私達を…私を消す事を企んでいたのなら……
助けを求めたりなどしない!」
顔の無い影が じっとこちらを見つめる
私は…優しく微笑んでみせた
「もう、嘘をつく必要などありませんよ」
小さな音が、床に響いた
それはアリスの影が 右手のカッターナイフを
床へと落とした音
「っ…うっく…ひっく…」
その場でしゃがみこんだアリスは、人形を
胸に抱いたまま涙を流す
「ああ、どうか泣かないでアリス!」
私は慌てて腰を落とし 取り出したハンケチで
そっと涙を拭き取る
元に戻してしまわぬよう、気をつけながら
それでも彼女は泣き止もうとはせず
ため息を一つ落とし 私はアリスへ語りかける
「アリス…あなたは皆を憎んでいたのでも
私を殺してしまいたかったのでも無い」
そう…今ならば、分かる気がする
ビルの見せてくれた真実の中のあなたの悩み
意味が無い質問の中の、問いかけの一つ
…今までのあなたの 言動の本音が
「ただ、大人になる事が不安で…そして
怖かったのですよね?」
無言のまま アリスの影は首を縦に振る
彼女は自分が、誰かを傷つけてしまう
大人になる事を恐れていた
大人になる事で新たに傷つけられる事も
それによって何かが…或いは全てが失われてしまう
…その事実を 何よりも恐れていた
でも
「大丈夫ですよアリス、あなたとオカアサンは違う」
「…どういう こと?」
ゆっくりと、私は言葉を紡ぐ
「あの方は些細な間違いで変わってしまった
可哀想なお方でしたが…それでもあなたを愛していた
その愛は、アリスにも受け継がれています」
涙が、自然と止まった
「でも あなたとオカアサンの大きな違いは
…真実を知っても前に進める心の強さです」
「心の…強さ…?」
私は 頷いて先を続ける
「傷つけられた痛みと、それでも進む事を誓った
心の強さは あなたが一番よく知っているはず」
どれだけ現実があなたを傷つけても
我等住人が、真実への道を阻んでも
あなたはそれに辿り着き…そして逃げずに
前へ歩く事を決めた
「でもっ、でももし…」
「誰だって行く末に不安を覚えるのは当然です
けど、あなたには…アリスには支えてくれる方々が
……我等 国の住人がいます」
口を噤むアリスへ 私は自らの胸に手を当てる
「辛ければ、相談してください
困っているなら 頼ってください」
「頼っても いいの?」
「はい 叔父様もお婆様も武村様も、チェシャ猫も
ビルも女王陛下も…そして私も あなたの為ならば
どんな時でも力になります」
我は記憶の番人 アリスから生み出された存在
あなたが助けを望むのならば
例えこの身が滅ぼうとも…力になろう
「だから……戻りましょう 現実へ」
言って、私は右手を差し出した
アリスの影は 差し出された手の平と私を
交互に見比べて、おずおずと呟く
「……本当に、私は大人になっても大丈夫?
みんなは は私を…助けてくれる?」
「ええ…お約束します アリスが望むのならば」
そしてアリスは、人形を手の上に差し出した
押し頂いて 抱えるように左手で抱き
もう一度右手を差し伸べる
今度こそ…彼女の手がそこに重なった
眩いばかりの光が辺りを包み 私の視界を
白だけが埋め尽くす中
『ありがとう…みんな…
……ありがとう……』
微かなささやきだけが耳に届いた
やがて光が収まり、目を開けると
「……ただいま 」
手を重ね こちらへ微笑みを向けたアリスがいた
「お帰りなさいませ、アリス」
私も笑い返し…途端に力が抜けて尻餅をついた
うう、我ながら情けない…
「大変な目に合わせてごめんね、私のせいで
こんなに怪我だらけに…」
「いっいえ!アリスをお救いする為ならば
このような怪我など構いは「そーよっ!!」
唐突な叫びと共に殺気を感じ、アリスと同時に
慌てて身を屈めれば
頭の上をスレスレで鎌の刃が薙いだ
「うわぁっ!へ、陛下何時から!?」
振り返り 陛下へと告げると
「何を言っているの、ここは私の城の前よ」
あっさりとそう答えられてしまった
…本当だ 今の今まで気付かなかったが
私達は城の前の草むらにいた
それも、私とアリスと陛下のみならず
国の住人達 総揃いで
「あのっ…皆さんいつから…?」
「、あなたが消えたあの後…代わりに現れた
鏡にあなた達二人の姿が映っていました」
「という事は、私とジャバウォック…いえ
アリスの影との会話は…」
「みんなに筒抜けだよ」
あっさりと言った猫の一言に、私は一気に
力が抜けてしまった
「それなら助けてくれても…」
「私達は見る事しか出来なかったのですよ」
「それに 僕の身体が助けたじゃないか」
「まぁそうですけど…」
言い合っている合間に、女王陛下はちゃっかり
アリスへと抱きついて こう言った
「が言った言葉なのは癪に障るけれど…
わたくし達は ずっとアリスの味方よ
それだけは覚えていてね」
強く言う陛下を順に、アリスが私達へ顔を向ける
全員が 視線を受け止め、強く頷いていた
「本当に、ありがとうみんな
私…もう大人になる事を怖がったりしない」
満面の笑みを見せたアリスの目に 涙が一筋
キラリと宝石のように光っていた
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あとがき(というか楽屋裏)
狐狗狸:鏡の国原作、これにて終了です!
書き出してみれば案外長かったです
アリス:お疲れ様…今回は叔父さんと武村さん
言葉でしか出てこなかったね
狐狗狸:この話では住人にウェイトを置いてみました
何だかんだ言って書きたかった話だし
チェシャ猫:元々、が出てくる話だしね
狐狗狸:そう それとこれはオフレコですが
ある同人誌の小説に感銘を受けた事も
鏡長編・執筆動機のひとつです
アリス:えぇぇぇぇっ!?
チェシャ猫:アリス 同人誌って何だい?
アリス:えっ うー…ええっと…(困惑)
またもグダグダ後書き謝…アリスの進路については
敢えて書かない方向でいきました
次回長編は近い内に書きます 叔父さんと
武村さんは…短編でぼちぼちと(スイマセン)
様 読んでいただいて
ありがとうございました!