人形を手にしたチェシャ猫の影は
追いすがる私の手を軽々とすり抜けて
「よく分からないけど、人形は
もらっていくよ」
そのまま木の上へと駆け上がると
枝から別の樹木の枝に飛び移り
どこかへと逃げてゆく
「待ちなさいチェシャ猫っ!」
追いすがろうとする私の肩を取り
「構いませんよ、」
ビルが、首を横に振って止めた
「猫はあの人形を奪ってジャバウォックへと
届ける以外の命令は 何も受けてませんから」
「ビル…どうしてそんな事を」
「私は真実の番人ですから アリスにまつわる
全ての者の過去と少し先は理解しています
…例えそれが、影であろうとも」
流石は真実の番人、理解が早くて助かる
「それはそうとビル、やはりあなたが
赤のナイトだったのですか?」
問いかけに ビルはこくりと頷きつつ続ける
「ええ、あの時あなたと楽しんでいた
チェスの一局…私は赤を動かしていましたからね」
「え…たったそれだけの理由ですか?」
「そのようですよ」
なんて簡単な…まるで子供の遊びではないか
いやいや、私とビルの対局でのそれぞれの
駒の色を知っているのだ 油断は出来ない
「ビル あなたならばジャバウォックの正体を
何かご存知ではありませんか?」
彼は肯定も否定もせず
「…あなたには真実を伝えておいた方がいいでしょう」
静かに言うと 光沢のある皮膚に覆われた
両手を差し出す
「 私から記憶を読み取り
あの時のアリスに起こった真実を見るのです」
淡々とした抑揚の無い言葉は、しかし
断りがたい強さを持っていた
第十三話 問いと王冠
基本的に、ビルが知っている真実は
アリスにしか伝える事が出来ない決まりだ
けれど記憶の番人である我だけは
アリスの為だけの真実を
記憶として管理・干渉が出来る
「…分かりました、ビル」
私は頷き、ひやりとしたその手を取る
目の前の光景が一瞬眩み 頭の中に
彼の持つ真実が記憶として流れ込んできた…
少し前にアリスは学校で"進路調査表"とか
言うモノをもらったらしく
今日も自室にて ご自身の将来を
しばらく考えておられた
『……どうしよう 期日がもうすぐなのに』
『ずっと悩んでいるとお腹が空くよアリス
猫はおいしいから一口どうだい?』
『食べないってば…』
生首だけの猫に対する受け答えも、普段より
沈んだ面持ちでなされていて
『大人への第一歩…か…』
表と共にもらったプリントに記された文字を
読み上げ 深いため息をついたアリスは
大きな悩みを抱えているように思われる
その内、ふいに立ち上がられたアリスへ
チェシャ猫が見上げながら訪ねる
『どこへ行くんだい?』
『おトイレよ、すぐ戻るから』
半開きの戸から 静かな足音が遠ざかり
猫は部屋の中で大人しく床を転がっていた…
―助けて!―
微かなその声が頭に響き、猫はすぐさま
洗面台の方まで駆けつける
その間に首から身体が生えてきていたが
気にかける素振りなど毛頭無いようだった
半開きの扉の先には 洗面台の鏡から
半身を乗り出したジャバウォックが
アリスを鏡へと引きずりこんでいた
『助けてっ…チェシャね』
『アリス!』
けれども、何故か猫の身体は動かなくなり
そのままアリスは鏡の中へと吸い込まれ
周囲の影が 蠢き始めた…
「これがアリスの身に起こった真実です」
ビルの声が、私を現実へと返らせる
「私に出来る事はここまでです、後はあなたが
川を越え ジャバウォックに会わなくては」
まだ訪ねたい事はあったのだが
緑色の髪から覗く瞳は、それ以上の詰問を
許しはしなかった
「…分かりました ありがとう、ビル」
礼をして 私は少し先にある小川まで進む
境目のようなそこを越える直前
「、後ほどお会いしましょう」
向こうで ビルが私へと呼びかけた
ぽつりと佇む彼の姿をもう一度だけ振り返り
私は、目の前の小川をまたぐ
景色は唐突に城の貴賓室のような場所へ
代わり、同時に頭へ違和感を覚える
そっと手を伸ばせば…頭上に王冠があった
「これは、何故このようなモノが…?」
戸惑う私に 期せず答えが返って来た
「ようやく王冠を手に入れたのね、」
「待ってたかいがあったよ」
後ろにはいつの間にか白い王冠を乗せた
陛下の影と、赤い王冠を被る道化師がいた
ここまで来れば そろそろ何が起きても
驚かなくなってはきている
「ジャバウォック…
アリスの依代はどこにあるのです?」
道化師は肩を竦め おどけた様に言う
「私の方が先についたんだ、ゲームは
の負け だから教える権利は無い」
「そんな!今までのガンバリに対して
それは余りにに可哀想すぎるわ!!」
熱のこもった陛下の声に 道化師は
渋々と言った感じでこう告げる
「…そこまで言うならの健闘を讃え
宴へと招待しよう それでいいかな?」
「折角ですが、私はアリスを助けに来たのです
遊びにも宴にも興味がありません」
「わがままだねは、ならその冠に
相応しいかテストをしよう」
ジャバウォックは芝居がかった仕草で
謡うように続けた
「私と女王のテストに一つでも答えられたら
ご褒美として アリスの依代を渡そう」
「嘘ではありませんね?ジャバウォック」
道化師は、含みのある声でこう答える
「勿論だとも」
…どこまでが本当なのかは分からないが
ここは慎重に様子を見た方がいいだろう
相手は、アリスの依代をどこかに隠した
全ての影達の支配者だ
音もなく置かれた三人分の椅子に
それぞれが着席し 問いかけが始まった
「大人は幾つから大人になる?」
「え、それは一般的に言うと成人してからでは」
「なら成人とは何?既に人として生きているのに
どうして人に成ったと呼ばれる?」
「それは身体の成長や心の自立が」
「ダメだね、正解は大人と自覚した時だよ」
意味の無い言葉でジャバウォックは私を煙に巻き
「わたくしの事が、首になるくらい好き?」
「あのそれ問いかけではなく」
私の言葉を待たず、陛下の影は鎌を手に取り
こちらへにじり寄ろうとする
「わたくしは首だけにしたいほど
の事を愛してるわ、そう今からでも」
「女王 まだ問いかけの途中だよ?」
静かな道化師の言葉が、陛下の動きを止めた
「…分かってるわ」
それから代わる代わる問いかけをされたが
「一のほばーから十のほばーを引く事も
出来ないんだ、頭が悪いねは」
「ほばーって何ですかそれ!?」
「卵をスプーンで割ったら何になる?
答えてごらんなさいな」
「割れるとか言わないで下さいっ
というよりそれ割り算じゃありませんよね!?」
どれもワケの分からない問題の連続で
精々反論を述べるだけになってしまう
そうこうする内、とうとう痺れを切らし
「ああもう我慢できないわ!
あなたの首を刈らせてちょうだいっっ!!」
立ち上がった陛下が鎌を手に襲いかかって来た
「ちょっとジャバウォック!
女王を止めてくださ…ってアレ!?」
気が付けば先程まで陛下の側にいたはずの
赤い道化師は、忽然と消え失せている
「逃げた…いつの間に!?」
少々面食らいはしたものの、すぐに
道化師のその選択は正しい事が知れた
「 あまり動いてはダメよ!」
陛下の影は私の首を刈らんと
鎌を縦横無尽に振り回しており
切っ先は部屋の壁や調度品を容赦なく
弾き、切り裂き破壊する
万一その刃が道化師を刈り取ろうものなら
この世界が終わるだけではない、とても
恐ろしい事になるような予感がしたいた
…もっとも、私の身の危険は依然として
回避されていない状況なのだが
「へへへ陛下っ、問いかけの方は
よろしいのですか!?」
ハンマーで防ぎつつ、無駄だとは思いながらも
陛下の影へと呼びかける
「わたくしは問いかけよりもあなたとお茶を
楽しんでいる方が好きだわ!」
「申し訳ないのですが陛下、私はアリスを
助けなければいけませんので後ほど」
「ダメよ!首になってずっといて!!」
…影の言葉が嘘なのであれば、これは
相当陛下に嫌われていると考えていいだろう
分かってはいても改めて認識すると少々辛い
仕方なく、鎌の攻撃をどうにか防ぎつつ
私は部屋の扉を破壊し その場から逃げ出した
途中から追って来る陛下の気配が途絶え
足を止めると、私は大きなアーチで縁取られた
立派な戸口の前に立っていた
アーチには目立つような字で
"王様"と記されている
「私が王様…何ともおこがましい話です」
頭上の王冠に手をやったまま自嘲する
アーチの横にあった呼び鈴が眼に入り
特に何も考えず それを一度鳴らすと
目の前の戸口が薄く開き、中から
ひょこりと顔を出したのは…
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あとがき(というか楽屋裏)
狐狗狸:四話以来の道化師の登場ですが
もしかして正体に気付いた方はおられますか?
ビル:愚問ですね
狐狗狸:ってまたこのパターン!いつから!?
ビル:前回からです、少々考えれば誰でも
分かる…いやや住人では逆に答えに到達でき
狐狗狸:激しくネタバレ禁止!!(強制退場)
女王:アリス!アリスはどこなのっ!!
狐狗狸:メッチャ鎌を唸らせながら
近づいてるー!やっば逃げろっ!!
次回 道化師との宴が始まる…
様 読んでいただいて
ありがとうございました!