さぁさ越境、さぁ越境!


行く手を阻む頑強な壁とそれを護る恐ろしの兵


一時は囚われ、命の危機にさらされながらも


偶然の襲撃と咄嗟の説得とが功を奏し
どうにか無事に境を越えた道化師一向


協力者たる美術商の繰る馬車に乗り


三人は南端の港町へとたどり着き―








「っぷはー!ぎゅった食った神満足ぅー!」





水揚げしたての白く細長いサラン魚の
淡麗な風味を生かした、肉厚なオッド貝スープ


トマトや旬の野菜をふんだんに使った
ターバル海リゾットに シンプルなニシンの塩焼きと


港町ならではの新鮮な魚介料理を満喫し


オレンジの色味がやや強い紅茶で喉を潤して
グラウンディは早めの夕飯に一息つく





「何度見ても清々しいほどの食べっぷりとその笑みに
胃だけではなく胸も温かに満たされる心地がしますね」


「同感ですね…懐具合さえ著しく顧みたなら」


「うっせ神の前でケツケチすんな
ぷみゃいメシがマズくなんだろーが」





咎める視線をうっとうしげに歯噛みする
いつも通りの食後の光景を


見守るヨハンの眼差しは 少し愁いを帯びていた





「グラウンディさんの食事振りも、お二人の
やり取りもこれで見納めと思うと寂しい限りです」





協力者だった美術商は、ヨハンの容姿と歌声
そして竪琴の価値に目を付けており


協力の条件に仕事の契約を提示していた





彼は承諾し、しばらくこのアブキンに留まって
仕事をする事にしたようだが


道化と少女は 情勢が落ち着くまでは
一度デュッペを離れるつもりであり


明日の朝一番の船に乗る予定らしい











〜三十二幕 忙シキ乗船〜











「あーに気にすんあよ、もしかしたら
また会えるかもしぇれねーし」


「それにかの"幽霊船"をお目にかける
著しい好機とも言えるのでは?」


なお海の見える宿に泊まって二日経っているが

三人は、それらしき船を目にしてはいない





「お二人と"幽霊船"を目にする事が出来ないのは
残念ではありますが…行く先はお決まりですか?」





水を口に含むふりをして カフィルは頷く





「やはりクワロへ向かうのが安全かと」


変なキビョーとかおかしな塔がどっかにあるとか
ぎっててもか?他にも近いトコぐらい」


「海流や国交の問題上、クワロが安全だ」


「私もここからならクワロ行の船を選ぶでしょうね

ともあれ、お二人とまたお会いできる日と
旅の無事とを祈る気持ちは変わりません…しかし」


「しかし?」





ひどく真剣な顔つきで身を乗り出したヨハンに
グラウンディは反射的に身を少し引く





「厚かましいながらも頼みを聞いていただけますか」





笑みの無い整った顔から放たれる低い声は
魅力的でありながら、どこか張りつめていて


カフィルでさえ その様子に瞠目する





「ヨハン様…頼みとは?」





姿勢を正した二人へ重々しく頷き


彼は、意を決して口を開いた





「やはりお別れする前に、貴方達お二人への
感謝の歌を捧げさせてください」



ガタリ、と拍子抜けして両者は肩を落とした





「…それはいららないって言ったよな?」


「本来ならばお二人の旅路を祝い黙って
お送りするのが礼儀と知ってはおりますが
やはり私は歌うしか術を知らない男なのです」


「ひや、だからヨハン オレらは」


「けれどあの熱く濃厚で刺激的な数日間を
分かち合った感動と奇跡をひとつの旋律に乗せて
奏でるには時が少しばかり足りない…そして
何よりももっと貴方達を、貴方を知りたい想いが
どうにも止まらないのです!止められないのです!






熱のこもった弁舌は留まる事を知らず


吟遊詩人には、彼らが遠慮する声も
周囲の好奇に満ちた視線も

全くもって届いてはいないようだ





特に意識せず自然に 二人は視線を合わせる





「しかしどうか、ああどうか今宵一晩で構いません
不甲斐なく未練がましい私にもう少しだけ
お付き合いいただけませんで」


言葉と共に放たれた熱視線


目当ての相手から空振りし、後ろの席で
酒をがぶ飲みしていた男の後頭部に虚しく刺さる





ヨハンは通りかかった店員へ訊ねた





「すみません、つかぬ事を伺いますが
私と相席していたお二人をご存じありませんか?」


「ああ、アンタのツレならついさっき
メシ代払って出てったよ」











すばやく荷物をまとめて宿から出た二人は





「まだ宵の口はこれからなのに旅に出るとは
いささか早過ぎるのではありませんか!」



案の定、後を追ってきた吟遊詩人に見つかり
軽く町中を逃げ回るハメに陥った





「別れをふぁしむにも限度があんだろ!」


"惜しむ"な…面倒な男だ」







宿を出るのは明日の予定だったのだが、と
胸の内でだけ呟き


一旦細い路地を進んでいた彼らは


船着き場を目指して 大通りへと飛び出す


夕日の残滓と街灯りが街道と行き交う
人の群れを照らしている





賑わいを見せる食堂や酒場の前を過ぎ


残っている屋台の近くまで差しかかって

道化と少女は、ようやく気付いた





「ったく、天下のルオ様を荷物持ちにするとは
いい度胸ジャリな」


「いつも勝手に抜け出しちゃうんだから
たまには買い物くらい付き合ってくれてもいいじゃん」


「ちゃんと公演には間に合わせてるジャリ」





店主から名物のホットシュリンプサンドを受け取る


ゆるくカールした金髪の少女と

個性的な顔つきをした中年道化師の二人組に





「げ」「「あ」」





引き返すか通り抜けるかで彼は逡巡する







だが焼き立てアツアツのホットシュリンプサンドを
急いで口の中へ放りこみ


三口で咀嚼して飲みこんだルオは





「っけぶ、ふっははは!とうとう貴様自ら
勝負をつけに現れたジャリか!いい心がけジャリ!



指をカフィルへ突き付けて宣言する





声につられて道行く人々も注目し始め

二人だけでなく、連れの少女までも眉をひそめる





「ちょっとルオ、対決するのはいいけど
芸の安売りは感心しないよ?」


「ゼロティ…お前には分からんジャリ
これは男としての誇りがかかってるジャリよ!」


「あっそ、アタシ女の子だから」


ひらっとスカートひるがえしてそっぽを向く
金髪少女はどうやら


ルオを本気で止めるつもりは無いようだ







カフィルさーん せめて一日、いえ一曲だけでも
お付き合い…おや、あ、あの方はもしや」


更に間の悪い事にヨハンも後ろから迫ってくる





やっぐぇ!ハサまれたぞカフィル!」





焦るグラウンディ、ただただ無反応なカフィル


そしてジャグリング用のボールを取り出し





「さぁカフィル!逃げずにオリと勝負」


やはりルオ=ターキーフさんでしたか!

ご活躍はかねてより耳にしております!こうして
ひと目お会いできるとはまさに神の御業!!」



「なっななななんジャリかアンタっ!?」


勝負を始めようとしていたルオの戦意は


恐るべき素早さで両手を握りしめ、息がかかるほど間近
顔を寄せた美形吟遊詩人にへし折られる





だあぁ離すジャリ!サインや話なら
後でじっくりとしてやるジャリからっ!!」


なんとお優しい!会えただけでなく言葉まで
交わす機会をいただけるとは、ああ失礼
感極まってぶしつけな真似をしてしまいました」


「い、いや手を離してくれたのはありがたいし
オリはファンの皆様は大事にする派ジャリ」


「それにしてもお兄さんカッコいいわねー
お仕事は?もしかして同業者の方?」


「いえ私は世界を語る、一人の吟遊詩人です
貴女のご活躍も耳にしておりますよ
愛らしき猛獣使いさん?」


「あらうれしい、でもナンパのつもりなら
アタシにはガー君達がいるからダメよ〜」


「いえいえ 私は興味があるだけですよ
貴女やルオさんの世界に」


「お、おおおオリは別にそーいうっその…
だあもう!話は勝負が終わってからに





先程まで中年道化師や詩人らの
目の前にいたハズの草色と銀髪は


もはや背後の人ごみに、遠く紛れていた









…大通りでの喧騒を後にした二人は


出港間近の船へ飛び乗りアブキンを後にする





「あわわて乗っちまったけどこの船
神ボロっちいな…しずまねぇよな?」


「知らん」





彼女の言う通り、乗っている貨客船は
あちこち薄汚れて安っぽいつくりをしており


それなりの大きさにも関わらず


甲板に出ている船員は少なく、揃って
今のカフィルと大差ない仏頂面をしている





アブキンからの灯りも大陸の大地も
少しずつ遠くなってゆく中で


取り出した水筒で喉を潤した彼の耳へ


さざ波に混じって 複数の人の息遣いが届く





「うえ…ほちついてきたら船りょいが
どっきゃ休めるトコ、休めるトコ」





同時にドアを開けたグラウンディめがけ







角ばった赤ら顔の男が飛び出してきた





「のわぐひじょあおっ!?」





伸ばされた腕をスレスレでかわして
少女が道化の側まで戻ると


船が止まり、船員が次々と刃物を取り出す





「今日の獲物はよ〜しけてやがんなぁ」


ドロンとした目で言う赤ら顔の、背にした
船室からも何人かガラの悪そうな男が現れる





「ただの客船ではなかったか」


「そーともよ〜オレたちゃ誘拐専門の海賊でね」


「偽装や値段につられるヤツぁ案外多くてなぁ
恨むなら我が身の不幸を恨みな」


「海の真ん中じゃ逃げ場はねーぜ?」





ニヤニヤと笑いながら狙いを定める海賊達へ

油断なく気を配りつつグラウンディは言う





「あん?神が悪人ガイテに逃げるかよ!」


「面倒だから船内では暴れるなよ?」


「イチイチチうっせーなもう…んじゃ行くぜ!







自信たっぷりに笑い、少女が甲板へ手を付き


包囲を狭めてきていた海賊の足元だけを
式刻法術でもろくして崩し


そのせいで足を取られ 落下しかかる者達を
二人で難なく制圧してから


船内などに残っていた船員を道化が片付けて





ほどなく幽閉されていた数人のいた牢に
全員ひとまとめにして押し込まれる





「た、助かった…ありがとう


「もうダメかと思いました 感謝します」





と、ここまでは問題なかったのだが…







「これ…帰れるのか?





火の粉が微かに燻り、穴だらけの甲板


捕まっていた者に操船経験者などはおらず


霧の出始めたターバル海はすっかり暗く
大陸がどの方角にあるかすらも分からない


牢から外へと出られた被害者一同は
眼前に広がるこの状況に 不安を抱く







「こんなにボロボロで朝まで持つの?」


「けど、この状態で船を動かすのは
もっと危ないような気も…」


「アンタら余計な事してくれたよな」


「なっ!悪人を倒して助げがってのんぎゅ


彼女の口を押え、道化師は涼しい顔で返す





「お怒りごもっとも、ですが今考えるべき
事態は救助の手立てでは?」


「ああ…幸い食糧はあるみたいだし
少し修復すれば 何とか持ちこたえられるだろ」


「それか狼煙でも上げて…ん?





一人の視線へ気づいて、他の者達と
道化と少女も顔を向ける







気づけばボロボロの海賊船の隣に
1隻の黒い船体が横付けされており


それぞれの甲板を1枚の板が繋いでいた





「あんなデカい船 いつの間に?」


「あの船、私達を助けてくれるのかしら…?」


「でもそれなら船員の一人や二人が
こちらに声をかけたっていいハズだ」





しばらくじっと、船と板を見守っても


彼らの前には誰も現れない





やがてチラリチラリと 数人の視線は


カフィルとグラウンディへ注がれてゆく





「あの…悪いけどアンタら、先に
あの船の様子を見てきてくれないか?」


「ひっ、人みぎゃかせかよ!


「捕まって弱ってる人間より
元気な人間が行くってのが筋だろ?」


「アナタ達なら強いし もし問題が無いなら
私達も後から乗りますから!」





責めるような、縋るような視線と
手を合わせて頼み込む彼らの態度に


ため息と不満を飲みこんで二人が板を渡る





しかし…二人が黒い船へと移った直後


周囲の霧が濃さを増し、船が動きだし
板が外れて海中へと落ちてゆく








ちょっと…待ってく…おま…ルい…」


「うぇっわ、ぐ、な…何だよオイ





転びそうになりながらも振り返った少女が
甲板から身を乗り出しても


そこには闇しか広がっていなかった







「ウソ…だれりょ…」





しばし呆然としてから


改めて船の外観を見回して
グラウンディは、生唾を飲みこむ





さっきの海賊船より 造りがしっかりしている


だが、汚れ具合も積もったホコリの量も
傷の古さも比較にはならない程





「さっきょの船より神ボロい…つか人が
誰もいねぇんだけど、ここ、まさか


『察しの通りじゃよ』





言いつつ、足元からぬるりと現れた
老婆の生首にグラウンディの表情が固まる






『生きた人間が乗船するなど何年ぶりかのぅ』


「なバババッバタバババァちゃんが


『騒ぐでない ここは"ノイル・クォメール号"
お主らも噂ぐらいは聞いているじゃろ』


「…実物にお目にかかるとは思いませんでしたよ」


『怖い顔をせんでもよい、この船には
ワシ以外にもちゃんと話の通じる者もおる』





どこかの民族を思わせる簡素なローブをまとい
総白髪を後頭部で輪にした、半透明な彼女は


浮上を続けて カフィルと視線を合わせると





『おおそうじゃ挨拶がまだじゃったの

ワシはリンセン お主らのような
迷い子を案内するのが趣味の婆じゃよ』


からからと楽しそうに笑った








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あとがき(というか楽屋裏)


狐狗狸:これ…本当は夏に書きたかったなんて言えn


グラウ:言っぺるじゃねーか


狐狗狸:そこはまーネタとして、ねっ?
とにかくヨハン終了と新キャラ二人出せたし満足


ルオ:ゼロティは企画の馬の話でも出てるジャリ


ゼロティ:チョイ役だけどね、あと拍手でも
服交換したかな ちなみに色は夕日色だよ♪


グラウ:おきゃげで変態が神大変だった…
あ、ヨハンお疲れ デブ足ろめありがとな


ヨハン:こちらこそ今までありがとうございました
あのようなお別れになってしまった事は
無念でなりませんが、出会いあれば別れあり
あの後も素晴らしき出会いが


ルオ:ああうん…いい奴だったジャリが…
なんか、妙に疲れたジャリよ…


カフィル:著しく同情する


ゼロティ:顔キレイだし腕もいいし
ウチのサーカスで働けばいいのに


ヨハン:今はあの方のツテで会場の余興など
引き受けておりますが、機会があればぜひ
「それだけは勘弁ジャリ!」




カフィルの首は本物なので、喉は潤います
排出はまだ手動でやる必要ありですが


次回 老婆と噂の幽霊船を探索す