有象無象の人ごみの中で





ほんの一瞬、鮮やかな赤を垣間見る







「…また、だ」





立ち止まり 私はポツリと呟きを漏らす







どうしてだか知らないけど、
たまに私の視界に瞬間的に甦る赤


目を凝らそうとすると たちまちに消える
それが何なのかはいまだに分からない





…いや、分からないんじゃなく
思い出せないだけなのかもしれない







あの空白の期間と同じく







思い思いに流れる人ごみの中で立ち尽くしていると
聞き覚えのある着メロが流れ出す





上着に入れた携帯を取り出して開くと


新着メールが一件あって、絵文字に彩られた
ごく簡単な用件が一行





"〜仕事終わった?いつものトコで会わない?"





液晶画面越しに目に浮かぶような相手の顔を
思い浮かべて、笑みを浮かべると


短い返答を送り、私は待ち合わせ場所に向かう











〜「刹那の澱」〜











今の会社で事務として雇われる前
私は別のある会社で働いていた







そこには私よりも年の低い子とかも何故かいて





子供と同じように仕事をしていた事に
何も違和感を感じてはいなかった…と思う







こんなあやふやな表現をするのは


私にとって、そこでの記憶が
おぼろげなものでしかないからだ







何となく特殊な仕事だったような気はする





けど、主にどんな仕事をしていたかとか
誰と仕事していたかは 何も思い出せない









「誠に残念ですが、さんも
流行病にかかってしまった模様です」







見た覚えの無い人から そう宣告されたのが
まず最初に思い出せる会社での記憶







仕事をしている上では、ほぼ必ずなる病で


かかった者は一定の記憶を失うらしい





程度は人によってで、大抵は会社に入ってから
今に至るまでのあらかたの記憶が消えると聞いた







さんの記憶は恐らく元には戻らないでしょう
今の職場も、辞めていただく他無いですが…







言われてみれば…働いていた事に関する記憶が消えたなら
そこでまた一から仕事を覚えなおす事になる





数が少ないのであればまだしも


全ての作業行程を忘れてしまった社員をその度
一人一人使えるようになるまで育て直す





そんな効率の悪い事を行う余裕は、今時
どこの会社にもありはしない







だからか会社を辞める事になった時、


その処置に対して特に疑問を持ったことは無かった











……疑問は 無かったけど







気が付けば、その日からずっと





無くしてしまったハズの空白の時間と


意識に時折ちらつく赤が





何かが足りない、と私に訴えてくる









失った記憶を戻すことは出来ないし





今更 終わってしまった事を悔やんでいても
仕方ないと分かっているから







足りない時間を埋める為に、私は今を
目一杯生きようと努力している







「やほ〜


「寒かったでしょ、待った?





銅像の前で首をすくめたまま待ってた彼に
駆け寄りながら、私は微笑んでみせた









辞めた所が大手の会社だったからか、
ちゃんと失業保険を受け取ることが出来た





新しい就職先も 現在の就職難にしては
さほど困る事無くすんなりと入れた







元々人付き合いは悪くない方だったし


一緒に働いてる人も、いい人もいれば
ちょっと主張が変わってる人もいて


嫌な上司ってのもまぁ時としているけど





それなりに充実した職場で働けている…







、どーしたんだよ?」


「え、んーん 何でもないよ」





声をかけられて 私は我に返って
目の前の彼氏に笑いかける







彼とは仕事を辞めてから知り合って


そこそこ長い付き合いをしている





案外シュミも合うし、悪い人ではない
メールなんかのやり取りもよくやる方だ





お互いのグチなんかも開けっぴろげに
語ることだって出来る







こうやって喫茶店でしゃべっている時間は
普通に恋人らしくて、楽しい







…でも 足りない何かは埋まらないまま







「そう言えばさー、のそのキーホルダー
結構古いよね〜いつから持ってたんだっけ?」


「えっ?」







聞かれて、私は彼が指差す方を見る





彼の示す"キーホルダー"は 私の携帯に
くっついている唯一の飾りのそれ







「言われてみればそうだね
なんでこんなの、持ってたんだっけ…?」


「あーそういう事あるよね〜」







買った覚えなんかない 動かない
バラを模したキーホルダー型の時計





多分、忘れてしまったあの時に買ったんだと思う







赤いメッキも若干ハゲているそれは
もう使えないし、要らないはずなのに


どうしても 捨てることが出来ない







―似合っているじゃないか、







時計を見ていると、ふと 思い出す声は
今の彼氏とは違う人のモノで





でも…誰かは、思い出すことが出来ない







「…大丈夫今日はこのまま帰ろうか?」





優しく訊ねる彼の声に、私はまたもや
自分の世界に入っていたことに気付く





「あ、うんそうする…ゴメンね」







謝りながら、何故か罪悪感を感じてしまう







日を改めてまた会う約束をして
私達は どちらともなくその場から別れた











「今日の私、本当 どうしたんだろ…」





前の記憶がちらつく事は、何度もあって


その度に"過去の事なんだから"と言い聞かせて


それ以上浮かび上がらない記憶にフタをして
日々を過ごしてきてたけど





ここまで抑えきれないなんて事は、無かったはず







「……きっと疲れてるんだ そうに違いない」







そんな時は寝るに限る





明日は仕事もあるし、と言い訳めいた事を
口走りながら 私はベッドにもぐりこむ













 何をグズグズしているのだ







どこか遠くから、私を呼ぶ 低い声







、いい加減起きたらどうなんだ」







目を開けば そこには半透明ながら
とても見覚えのある男の顔がアップで映った





「休みとはいえ年頃の乙女が
こんな時間まで寝ていてどうする」


「っちょっと!顔近すぎ!





慌てて跳ね起きると、その人はヤレヤレと
いった風に軽くため息をつく





「せっかくこの私がワザワザ起こしてやったのだ
始めに感謝の言葉を述べるのが筋だろう」


「余計なお世話です、今日は仕事無いんだし
オフの日ぐらいゆっくり寝かせてよ…」





手元の布団を手繰り寄せ 私は彼を睨む







を主体とした派手な衣装


どこか偉そうながらも、気品があって
自分をキチンと持っていたその人





―違う、この人は 人に見えるけど人じゃない


上手く言えないけど 私はそれを知っている







「ならば尚の事、休みを有効に使って己を磨くなり
美しい音楽や美術品を鑑賞し 優雅なひと時を」


お生憎さま 私には向上心も高尚な趣味も
何一つありませんから」







相手はぐるりとその場で、やや殺風景な
私の部屋を見回す







「その様だな…よ、貴様も女なら
まずは部屋に薔薇など飾ればよかろう」


「簡単に言うけど そんなお金も
枯れるまで世話をする気力もないよ、私には」


「何とも凡庸で怠惰な意見だな」





呆れたような眼差しに 私はうるさいと
答えたことを覚えている









彼氏とは違う位置づけで、それでも彼氏より
もっと近い所にいたその人







何だかんだ言い合いながらも


共に信頼して、戦って 日々を過ごしてた







その声の低さも 手の暖かさも
私の名を呼んだ時の気持ちも





夢の中でだけなら、ちゃんと思い出せる







あの日 負けてしまうまで
この人と共に今まで歩んでたはず







このひとの、なまえは









「貴様が隣にいた日々は、悪くは無かった」







いつの間にか辺りは闇に沈んでいて





目の前のこの人は、足元から消え始めていて







「……さらばだ 





待って!行かないで、お願い





「××××!」







ハッキリと呼んだはずなのに


私の声はそこだけ切り取られたように
まったく聞こえなくなる





微笑んだ彼が、目の前で消えて













そこでいつも目が覚める







「…どうして?」







ふとした時に浮かぶ記憶と同様に
私はこの夢の風景を 繰り返し見ている





いつもは、名前を呼ぶ前に目が覚めるけど







……でも、ほとんどの事は
起きた時には 既に思い出せなくて


今うっすら覚えている事もきっと


仕事をするうち、生活するうちに
日常の中に埋もれていくんだ







だけど この夢を見る度に


何か大切なものを失ったような





吐き出すことの出来ない想いが
ただただ 胸を締め付ける







―さらばだ 







完全に日常へと戻されてしまう前に





哀しげながら、どこか優しく響いた低い声と
鮮やかな赤い姿を焼き付けた









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あとがき(というか楽屋裏)


狐狗狸:…ええと、まず バラワカ夢とか言っときながら
名前が一度も出なくてスイマセン


バラワカ:歴代の夢小説の中では、一番酷い出来だ


狐狗狸:否定できない…ちなみにこの話のテーマは
ズバリ"ゲシュタルト崩壊"です


バラワカ:なんだ、その下守樽途というのは


狐狗狸:どこぞのヤンキー当て字ですか…
"ゲシュタルト"自体は辞典に 全体に統一性のある
構造を持つもの、と出ています


バラワカ:なるほど…要するに一つの確立した
事象や情報が崩壊することを差すのか


狐狗狸:その通り、漢字をじっと見つめてると
「本当にこんな字だっけ?」って思うアレです


バラワカ:何とも品の無い適当な例えだ


狐狗狸:分かりやすきゃいいんですよ




報われない悲恋にしたかったんです
そういう風に見えてたら幸いです




さん そして読者様、ここまで読んでいただいて
ありがとうございました!