男として、女々しいことなのは分かってる
今の世の中で これが下手をすれば
犯罪になりうる事だって承知の上だ
でも、分かっていても 止められない
彼女を見つめる事を…止められない
「10時15分、いつも通りマドカちゃんは
バイトから上がって帰宅…か」
通用口から出てきたらしい彼女を
遠巻きに見つめながら
僕は、人ごみに紛れて歩き始める
マドカちゃんの表情は 遠目ではあの頃から
何も変わりないように見える
それが ひどく辛い…
こんなに辛いなら、早々にこんな事を
止めてしまえればいいのに
地流にいた時から 気が付けば
マドカちゃんの姿を目で追うのが
当たり前になってしまった自分がいる
〜「愛したあの人の名前さえ」〜
その日は、結構仕事が忙しくて
ヒラで凡庸な闘神士社員だった僕は
資料の運搬に借り出され 社内を右往左往していた
「っあ!」
間抜けにも段差につまづいて
目の前の廊下に ハデに書類の束を
ぶちまけてしまった
「すみません…失礼します、すみません」
すれ違う人々へ謝りながら 散った書類を集める
恥ずかしかったのもあったが、それよりも
早く資料を届けないとと思う焦りが強くて
ひたすら廊下に落ちた紙に目をやり 手を伸ばし
―横合いから伸びた白い手が、目の前にあった
書類を掴み 僕へと差し出した
「どうぞ」
顔を上げると、少し屈んだマドカちゃんと目が合って
瞬間 彼女は僕へと軽く笑った
「す、すみませんワザワザ…」
この時の僕は急ぐことしか頭になくて
形だけのお詫びを口にしながら、少々乱暴に
書類を受け取ったことを覚えてる
立ち上がり、もう一度軽く会釈して
その場から移動しようとした所で
「そういや アナタうちの部署にいる人ですよね?」
ふいにマドカちゃんは声をかけてきた
声にどこか棘があるように聞こえた気がして
そこで少し対応がつっけんどんだった事を反省し
「ええ…と言います」
途端しおらしくそう返す僕へ
「さんか…あたしはマドカって言うんです」
彼女はニコリと、元気よく笑い返す
「何かの機会で一緒に仕事することもあるかも
しれないですし その時はよろしくさん」
「あ、はい ありがとうございます」
それから僕は単純にも、マドカちゃんの事を
意識するようになり
彼女の姿を目で追うようになっていった
マドカちゃんに関しての情報も
些細なものでさえ 聞き漏らさず集めた
…けれど、僕は臆病で 生まれてから一度も
女性とまともに話したことすらなく
彼女の言った"何かの機会"はあの後、訪れなくて
ほとんど業務以外の会話すら交わさずにいた
「あれ?アナタ さん…でしたよね?
何やってるんですか?こんなトコで」
ある冬の日の夕方、仕事が終わった時に
起こったハプニングが
そんな毎日を再び崩すきっかけを作った
「あ、あの…コンタクトを片方落としてしまって」
社内で知っている人は少ないのだが
僕は裸眼だと30cm程度の距離ですら
ぼんやりと霞んでしまう程の近視で
外で活動する事も多い闘神士の仕事に
支障ありと見られて切られたくなかったため
コンタクトでそれを補っている
極力衝撃や何かで落ちないようには
気をつけてはいたのだが…
距離感が狂うので、片目を手で押さえて
滲んだ視界でコンタクトを探しているから
声で辛うじてマドカちゃんだと分かるが
本人の姿は、曇りガラスを通したように
輪郭すらもはっきりとしていない
「うっわ、それマズイじゃないですか!
大丈夫なんですか?」
「ああ 平気ですよ…そんなに視力が
低いわけでもないのでお気になさらず」
心配させたくない気持ちと、弱みを
見せまいとする妙な意地が綯い交ぜになり
素っ気ないような対応へと変わってしまう
……どうして、愛想笑いの一つもして
"手伝ってください"くらい言えないのだろう?
悶々と渦巻く後悔の中、ぼやけた視界を
凝らして手元を見やる
恐る恐る床を触れる手に 探しモノの感触はない
「…そんな目つき悪くさせて、視力が
低くないなんてよく言えますね」
視線を向ければ、輪郭のぼやけたマドカちゃんが
一歩ほど僕の方へ近づいて
屈みこんで手を床へと伸ばす
「ちょうど帰るトコでしたし、ちょっとだけなら
探すの手伝いますよ さん」
「あ、ありがとうございます…スイマセンね」
「いいんですよ あたし目の悪い人って
妙に放って置けなくって」
…結局 二人で探している間に
コンタクトは見つからず
マドカちゃんが帰ってから、ようやく探し当てた
カラン…と涼しい音がグラスから響く
僕の側にいる相手の手にしたグラスの中で
大き目の氷と琥珀色の液体が揺らめく
「最近調子がよろしくないようですね…
どうかしましたか?さん」
「え、いえ 大丈夫です」
僕は苦笑交じりに言って 手元に
同じようなグラスを引き寄せ、一口含んだ
この場所に同席しているムツキさんは
昔も今も変わらず僕の上司であり
以前、僕の恋敵だった人だ
…といっても 僕が勝手に思ってただけだけれど
あの戦いが終わってから、セキュリティー会社の
社長へ就任された彼の元で働くことになった
マドカちゃんの姿がこの場所に無い事への
寂しさを打ち消すように
ただひたすら、与えられた仕事をこなして行き
ただひたすら、仕事を探し回り
昔より遮二無二働いた
…それがどういうわけか僕をそこそこ
優秀な社員という立場へと押し上げ
皮肉にもムツキさんに近づく機会が増えたのだ
今の会社の方針は、社員の声に重きを置いている
だから立場が大分違えども 僕と彼は
積極的に意見を交える事も出来た
妙なもので、そこから次第に意気投合し
気が付けば僕と彼は仲良くなっていた
今では、時折 仕事の息抜きとして
軽く酒場へ誘われる事があり
そこでの話にちらほらと 昔の会社の想い出や
グチなんかも混じってくる
もちろん、マドカちゃんの事も
「…記憶って言うのも恐ろしいものですね」
滅多に飲まない方らしく、さほど量を
過ごさない内から頬を赤く染め
ムツキさんは寂しげに言葉を紡ぐ
「あんなに"先生"って懐いていたあの子が
今時の若い子みたいになってしまうとは…」
「その気持ち、お察しします」
幾度も聞いた話ではあるが、出て来る度に
この人もマドカちゃんを想っていた事を思い知る
それだけに 彼女が記憶を失くした事は
ショックだった……僕にとっても
慕っていたムツキさんを口汚くののしり
どこか勝ち気ながらも優しかった目の面影が
どこにも見当たらず
浮ついている学生そのもののような
マドカちゃんのその姿は 見ていて辛かった
……けれどこれも、記憶が消えてしまう前の
彼女の姿を愛しく想うからそう見える
偏見じみたものでしかないワケで
たとえ僕らを覚えてなくても
マドカちゃんはマドカちゃんでしかないから
以前を押し付けるのも求めるのも場違いだと
分かってはいる
でも、頭で理解は出来ても
心は 納得できないままわだかまる
「わかってくれますか さん
…あ、この事は無論 秘密でお願いしますよ」
「ええ、心得てます」
僕は出来るだけ優しげに笑ってみせる
昔に比べれば、ずいぶんと愛想笑いも
上手くなったものだ
「…11時06分、無事に帰宅完了」
マンションから漏れる明かりを、近くの公園から
眺めて 僕は呟く
今でも、会社が終わってから
マドカちゃんの帰宅を見届けるのが日課になっている
世間では、これをストーカーと言うのだが
…僕にとってはそれくらいしか出来ないのだ
愛しいと思っていた、憧れていたはずの
人の名前さえ思い出せない彼女に
僕の事など 分かるはずも無い
あの戦いの後、記憶を失くし
僕の知っているマドカちゃんは"死んだ"
いまここにいるのは 彼女の抜け殻で
それに何の愛情も見返りも期待できない
…そんな事はとっくに分かりきっているはずなのに
僕は、彼女をいまだに見つめている
見つめるだけしか できない
「…ホント、未練たらしいったらないよ」
小さく零して口元だけで薄く嘲笑う
閉じたまぶたに、あの時のマドカちゃんの
表情を一つ一つ思い浮かべ
「おやすみ」
声に出さずそう言って 僕はそこから背を向け
自らの日常へ戻っていく
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あとがき(というか楽屋裏)
狐狗狸:男夢主でもちょっと書いてみようかなと思い
懲りずに記憶ネタでひとつ…
マドカ:てゆうか、さんキモイんですけど
あたしのストーカーしてたなんて
狐狗狸:そう言ってやるなって、人より不器用で
奥手はストーカーになるってどっかのゴリラ言ってたし
ムツキ:それは別の版権では…いえそれより
まさかさん、家宅侵入を犯しては
狐狗狸:(遮り)そこまで病んではいませんから
マドカ:でも人の帰り道をつけるってのは
リッパにストーカーでしょ?
狐狗狸:帰り道だけね、ノリとしては某少女漫画の
上司の帰り道見守ってたメガネストーカー
ムツキ:ですからそれは別の版権です
時間軸がかなりバラけててスイマセンでした
さん そして読者様、ここまで読んでいただいて
ありがとうございました!