まだ少しほの暗い通い路を抜け、校舎へと入り
教室へと向かう途中の廊下で
花の入った花瓶を抱えた屁怒絽殿と会った
「さん、今日は少し早いですね」
「昨日のうちに日直だと確認しておいたゆえ」
いつもよりも声が低くて小さいのが気になり
もう一度よく顔を見やって、気がつく
「お主…風邪を引いたか?」
「ええ、お恥ずかしい話ですが昨夜少し
遅くまで飼育小屋の防寒対策をしていたので…」
顔半分を覆う白いマスクを通して
少し苦しげな声とセキとが聞こえてくる
「素晴らしい心がけだが、それでお主が身体を
壊してしまっては元も子もなかろう」
「そうですね、さんの言う通…ゴホゴホっ!」
「屁怒絽殿 苦しいなら無理してしゃべらずとも」
「ああすみません、余計なご心配おかけして」
申し訳なさそうに頭を下げる屁怒絽殿へ
私は首を横に振って答える
「構わぬさ 本日は私も日直ゆえ
何か手伝えることがあれば遠慮なく申してくれ!」
級友が苦しんでいるなら、わずかでも私が
力になるのが道理というものだ
「ありがとうございますさん…それでは
お言葉に甘えさせていただきますね?」
「うぬ任せろ…ん?おお!教頭先生では
ないですか、おはようございます」
挨拶をすれば 雑誌片手に歩いていた教頭先生が
こちらへ視線をよこし肩を大きく震わせて
「おっおお、おはよう…早いな君タチ」
緑色の顔色を余計に悪くして答えたのだった
「うがいはこまめにやるべし」
当人の談によれば、喉からくる手合いの風邪を
もらっているらしく 咳が止まらぬと聞いた
そのせいか声も普段より小さく出しづらそうなので
声を出す類の作業は、率先して受け持った
…しかし 問題はそこだけではすまず
「あ、そこの君 コレ落ちましたよ?」
呼びかけられた相手が屁怒絽殿に気づくこと無く
よしんば気づいても、よく聞こえぬのか足早に
その場から離れてゆこうとする
「待たれよ 呼ばれておるぞ?」
「ふえっ!?あ、す、すみません先輩…」
その場合は代わりに呼び止め、或いは追ってでも
足を止めさせて屁怒絽殿の言葉を伝えておいた
無論 先生方も屁怒絽殿の様子に気づいており
色々と便宜を計ってくれていた
「次の英文を屁怒絽…いや、ぬしは声が出せず
辛いじゃろう 桂 かわりに読みなんし」
申し訳なさそうに頭を下げる屁怒絽殿へ
おずおずと頷き返して 桂殿が黒板へ向き直る
「お前ソレどこの国の教科書だぁぁ!?」
「間違えたー☆」と言いながら、慌てて
教科書をしまい直した桂殿は
今度こそきちんと英語の教科書で文章を読み上げた
「座ってよし 今の文にでてきたこの単語は
スペルの書き間違いが多いから気をつけなんし」
言いながら月詠先生は黒板に英文字を書き
要点を色違いのチョークで丸く囲う
「テストに限らず、スペルや単語を置く位置一つ
間違えるだけで意味が全く変わるのは英語でも
よくある事じゃ 気をつけなんし」
「先生!例えばどんな間違いがあるんですか?」
「そうじゃな、例えばPlease let me off here
この英文のlをgと書いてしまうと大きく意味が…」
こうしてテストに使える知識だけでなく
実用的な使い方を教えてくれるのもありがたい
…生憎、私にはあまりよく理解は出来ぬが
「…でABCのBはベッティングと呼ばれておるが
本来は"ペッティング"、すなわち愛撫などの意味を
含むから単語としてはPが頭文字に」
「先生、そのスペル今は必要ないです!」
時々よく分からぬ豆知識を披露したり脱線するのは
月詠先生に限らず、他の先生にも当てはまり
その度に新八や十四郎殿が軌道修正するのだが
…何故ゆえ、月詠先生の時だけ
真っ赤になりながらなのかも理解できぬ
他の男子などもちらほら顔を赤らめて前かがみに
なる者もいるようだし 全くの謎だ
今のところ咳以外は特に苦しくも無いらしいが
休み時間の合間や、学級日誌を書く際にも
様子見を兼ね 席まで移動して言葉をかわす
「それにしても大きなマスクだな」
「特大サイズのでないとすぐズレたりして
うまく付けられないんですよ、けどコレもちょっと
小さめなんでヒモがかかってる部分が痛いですけど」
「分かる気もする、私もマスク以外は
節分の鬼の面くらいしか顔に付けぬしな」
「そういえば、去年の節分では僕が鬼役を
やったのでお面かぶったっけなぁ…」
「お主の一家なら面はいらぬような気もするが」
「おまっ!それはさすがに言いすぎだろ!!」
通りがかりの十四郎殿に指摘された…それもそうか
「む…すまぬな屁怒絽殿」
「いえいいんですよ、僕らも"これじゃどっちが
鬼かわからないな"って笑ってましたから」
こちらの失言を気にかけず、むしろ笑って
受け入れてくれるとは やはり器が大きいな
何故か引きつったように笑う十四郎殿と共に
私も出来る限り、笑っておいた
掃除もHRも無事に終わって
あとは私でも出来そうな事ばかりなので
全て引き受け 先に帰って安静にしてもらおう
…と思っていたのだが
「くっ…よもや身の丈が仇になろうとは…!」
「仕方ありませんよ さんの背丈では
この辺りは届きそうにありませんから」
手を伸ばさねば届かぬ位置の黒板の文字は消せず
蛍光灯の取り替えも、危ないからと
代わりに行わせてしまって歯痒い思いをする
…のみならず
「そんな!近頃は痴漢騒ぎなどで物騒ですし
暗くなるのも早い路地をお一人で帰らせるなど!」
「お、大げさだなぁ〜僕一人で大丈夫だって
は日直でしょ?もう少し時間かかるから
いっそ気にしないで仕事してほしいなってホント」
兄上が先に帰ると仰られ、共に行くべきか
待っていただくよう交渉するべきか悩む私へ
「後は僕がやっておきますから、さんは
お兄さんと先に帰っていいですよ?」
「いやしかし、日直の仕事はまだ残って…」
「後は黒板消しをキレイにして先生に日誌を
渡すだけなんで、僕だけで何とかなりますし」
屁怒絽殿が気を使ってこう言ってくれたので
言葉に甘え、逆に後を任せてその日は
兄上と下校したのだった
…そこで甘えを捨てて私も手伝っていれば、と
翌日 屁怒絽殿が欠席した教室で後悔した
「が気に病む事ないアル!今年の風邪は
ごっさ凶悪だから 屁怒絽男爵が勝てなかったのも
仕方のない事ネ!」
「神楽…励ましは嬉しいが、何故ゆえ屁怒絽殿に
男爵などの呼称をつけるのだ?」
「そこは気にしたら負けアル!」
震えながらの言葉はどうでもいいとして
昨日の事がある手前、どうしても気がすまぬので
「見舞いに行きたいので、屁怒絽殿の住所を
教えてもらえぬだろうか先生」
「…は?いや、いやいやいや、えぇぇぇ!?」
訊ねたら先生は煙草を取り落として
露骨に慌てた後、私の両肩へ手を置いて言う
「やめとけ、絶対ぇやめとけ!
命が惜しくねぇのかお前は!!」
「意味がわかりませぬ」
必死で止めようとしてくる先生へ、必死に
説得を続けたのが功を奏し
「もういいわ好きにしろ」と呆れ混じりに
ようやく承諾をしてもらい
「えーと今日の日直は…新八か、よし
お前も一緒についてけ、なっ?」
「え゛え゛え゛え゛え゛え゛え゛!?」
二言三言揉めたものの、新八も見舞いに
付き合ってくれることとなって
「私だけでも構わぬのに、すまぬな」
「い、いえいいんですよ…ははは」
兄上を無事に送り届けた後に
二人で、屁怒絽殿の家へ訪れた
「おお!息子のためにワザワザお見舞いに
来てくださるとは、優しい娘さんじゃ!」
「いえ、級友として当然の事をしたまでです」
「ほう!最近の若いものにしちゃ謙虚で感心感心
むさ苦しいトコじゃが上がって行きなされ」
玄関先から父上殿に笑顔で家の中へ通され
居間にて体験授業の時、服部先生に助っ人で
呼ばれた兄弟五人とも顔を合わせ挨拶を交わす
「あの時はボールすみませんでした…あの後
ケガの具合などは大丈夫でしたか?」
「保険医殿に見ていただいたけれど、大事ないと
申されたので お気になさらずとも平気です」
「ああよかった、それを聞いてホッとしました」
学校のため懸命に野球部を演じる屁怒絽殿の
放った球が、運悪く暴投し私を直撃しただけで
"お主らのせいでない"と保健室に運ばれる直前
モウロウとしながらも伝えたはずなのだが…
余計に気を使わせてしまったか
「オレ達の力が及ばないばかりに、体験授業の
見学に来た人達もガッカリしてたみたいで」
「そんなコトはない!きっとあの者達にも
屁怒絽殿ご一家の努力は伝わってたと思いますぞ!
そうであろう新八!!」
「僕!?え、ええっそそそそうですね!
ものすごいガンバってくださってましたモンね!」
黙ってたので話を振れば、急に大きな声を出すとは
級友の家族の前と言えど そこまで緊張せんでも…
「せっかくじゃし、ヘドロに顔でも見せてっとくれ
少し風邪も落ち着いとるから話も出来るはずじゃ」
「よろしいのでしょうか?」
「構いませんよ、兄さんもクラスの人が
お見舞いに来てくれたなら喜んでくれるでしょう」
「いやでもマスクも無いんで、僕らそろそろ」
「私の手持ちでよければあるぞ」
「なんで持ってんのさんんん!?」
むしろ嫌そうな顔で詰問される方が疑問なのだが
「兄上から風邪の時にはマスクを付けるものと
常日頃教えられているのでな」
答えれば、力なく新八が「そうですかと」呟いた
父上殿に案内された室内で、布団から半身を
起こした屁怒絽殿と対面した
「さんに新八君、ワザワザお見舞いに
来てくださって本当にありがとうございます…!」
「昨日はお主に負担をかけてしまったからな」
確かに"体調がよくなっている"との
父上殿のお言葉通り 昨日より声の通りはよく
配られたプリントを手渡したり
今日学校で起こった出来事を、二人で話すと
とても楽しそうに聞き行ってくれた
…と、ふと思い立ったのかおもむろに
「そうだ、せっかく来て下さったんですし
お茶でもお出ししますよ」
屁怒絽殿は布団から出て 起き上がろうとする
「いやいいですからお気づかいなく!
僕らもうすぐ帰りますしっ!!」
「遠慮なさらないで下さい、コレでもずいぶん
体調は良くなって来たの…で…」
「危ない!」
とっさに倒れかかる身体を支えるが
大柄なだけあって重量もそれなりにあり
私の腕では支えきれず、共に倒れそうになる
「新八!手を貸してくれ!!」
「はっはいっ!!」
新八に手伝ってもらって、なんとか身体が
元の位置まで持ち直せたので
そのまま屁怒絽殿を床へ寝かせ直し
「風邪を甘く見てはいかぬぞ屁怒絽殿!」
ついでの勢いで、私は忠告する
「まだ風邪は完治しておらぬのだ、気を使って
無理をしては本末転倒だろう?」
「すみません…お二人に再三ご迷惑を」
「それはいい、お主はもう少し自分の身を
いたわってくれ」
その優しき心はありがたいが、病の時にまで
無理をして持て成そうとしなくてもよかろう
済まなそうに視線を送る屁怒絽殿へため息をつき
新八の方を見やると
…どうしてか、何かを言いたそうな
珍妙な顔で見つめ返される
「どうかしたか新八?何か物言いでも「い、いや!
何でもないです!!何もないです!!」
問いかけは、すごい勢いで首を振って否定された
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あとがき(というか楽屋裏)
狐狗狸:えー本当、私以外に誰も得しない夢小説
掲載完了です…いいじゃん男前な夢主と優しい男爵
土方:ねーよ!月詠先生の英語の授業ぐらいねーよ!
狐狗狸:あれは原作の保健体育のアレっぷりを
生かして、実用的な英単語&英会話豆知識
(性的な意味含めて)を披露してるって設定
教頭:どこのビッ/チ先生!?
神楽:小説読んだからってほいほい話に盛りすぎネ
とってつければ3Zらしくなるとか思うなヨ
桂:ちなみにオレの台詞のアレは魔女文字だ、英語で
"私は彼に言いました。「とぼけないで!あなたが
浮気をしたのはわかってるのよ!」"と言っているぞ
新八:そんな文章だったの?!
てか僕全然関係ないじゃないですか!!
銀八:バカ野郎!本編での歩く死亡フラグを
あの鬼だらけの巣に一人放りこまして何かあったら
絶対ぇオレの責任になんだろーが!!
狐狗狸:うわぁ…家庭訪問の様子が目に浮かぶわ
ドイツ語→グロンギ語と悩んだ末の魔女文字
月詠先生の豆知識は、誤用防止の気遣いからです
様 読んでいただきありがとうございました!